マスコミ各社内定者、アナウンサー内定者からのメッセージ
誤字脱字を除き、ほぼ原文のまま掲載しています
受講生による合格体験記を掲載しました(2001/5/24以降随時更新)。
いずれも当塾在籍時に、こうしたメッセージを羅針盤として活用した先輩がお書き下さっ
たものです。受講の参考に、あるいは、受験に挫けそうな時に、再度お読み下さい。
次はあなたにメッセージのご依頼をさせて下さい。(MSF出身で各社内定の方へ)大変
失礼ながらご依頼の漏れはご容赦願います。執筆をお願いできる場合、お知らせ下さい。

メッセージ=産経新聞社記者内定 Tさん 2006/11/24追加掲載
たった4ヶ月の受講期間だった。7月の初め、MSFと山田先生に出会った時
に滞っていたものが流れ始めた。春、ひとつも内定がなかった私は6月も終わ
ろうというある日、「新聞記者になりたい」という出来事に遭遇する。
しかし、新聞社の入社試験用の勉強などしてこなかったし、知識もない。独学
では無理だと、その日のうちに急いでインターネットを開いた。MSFに決め
たのは直感だった。
初授業。「懇談」の時の先生の一言は最初にして最大の一撃だった。「面接、
苦手でしょ。もっと周りの反応を見てしゃべったほうがいいですよ」。恥ずか
しかった。自分の勉強不足を隠すために一気に早口でまくし立てていたのだ。
他人にズバッと指摘されて初めて自分の癖に気づけた。最終面接まで、何度こ
の先生の言葉を思い出したかしれない。
MSFは少人数制で、かなりが受講生の自主性に任せられる。だから、他の受
講生に迷惑はかけられないという思いから、必死に勉強をした。自分のためだ
けではないからこそ、もう一段上の意欲が生まれるのだと思う。
面接を受ける中で先生とは日々、メールで連絡をとっていた。意気揚々と次の
面接の決意を書き送り満足していた私に、先生から返信が来る。「なぜ記者に
なりたいかという点が全く説得されていません」。これには焦った。いつも接
している先生に伝わらないのに、初対面の面接官に10分やそこらでわかって
もらえるわけがない。
その後も、先生からは何度も厳しく「浅さ」を突っ込まれ、そのたびに少しで
も納得してもらえるものをと、熟考してメールを送った。面接のためというよ
り、今の、将来の自分と先生への挑戦だったように思う。この過程なくして、
自分自身の「軸」は確立できなかった。
MSFの講義は、単に受かることが目的の授業ではないから、志高く先を見据
えられたのも良かったのだろう。山田先生、MSFなくして、この内定はあり
得なかった。4ヶ月の奇跡が、私を変え、今ついに新聞記者となった。良い記
者になります。本当にありがとうございました。(東京教室生)


メッセージ=NHKディレクター職内定 Kさん 2006/6/21追加掲載
いま自分の進路を決め、MSFで教えて頂いて本当によかった、と思っていま
す。それは内定したから、だけではありません。試験を受けていて、何度もM
SFに行っていてよかった、と思いました。
作文試験では、講座で培った「時間内に文を書ききる」コツが活きる。グルー
プ討論では、懇談で身についた「新聞の読み方」が活きた。マスコミ試験は、
民間企業の試験にない、ちょっとした技術や勘が必要だと思います。しかし、
MSFは、「技術」のみを伝授する塾ではありませんでした。私は、最初違う
会社を考えていました。あまり体が丈夫ではないという不安、そして家庭をも
ってからも続けられるかどうか。
また、行政・政策学を研究してきたので、学術的分野への憧れも捨てていませ
んでした。批判するよりも、改善しようとする力を応援したいと、専門情報を
扱いつつ、人に重要な情報を伝える仕事に就こうと思っていました。しかし、
それならば研究員や公務員でも同じです。ESを書きながら、もっと『マスコ
ミにいきたい』と思った理由があった筈なのに・・・と、もどかしく思う日々
が続きました。志望理由も宙に浮いている感じでした。
ある日、いつもの懇談のとき、山田先生が「マスコミにしかできない役割」に
ついて話していらっしゃいました。「世の流れからこぼれ、苦しんでいる人」
について。その言葉が、頭から離れず、ずっとそのことについて考えていまし
た。私は、「政策は、社会で最も困っている人を救うべく組み立てられる」と
いう政策学に感動し、ずっと政策研究をしてきました。しかし、政策研究をし
ていると、対立利害の中、全員を救うように組み立てるのは、絶対に不可能で
あることを毎回痛感します。そしてその中に、私の「マスコミに行きたい」と
思った原点があったことを思い出しました。原点を掴んだ後の面接は、嘘のよ
うにうまくいきました。
そして終盤を迎え、当初行きたかった会社と悩みました。最終的に、自分の原
点に一番理解を示してくれた会社に行くことにしました。原点は、会社を選ぶ
指標にもなったのです。また、「いまの自分に合わせる」のでなく、「その仕
事に就くために、自分がどれだけ成長しなくてはならないのか」、という視点
をもって、職業を考えるようになりました。
いま、20年以上住んだ土地を離れる覚悟を身につけ、毎日体力づくりをし、
車の運転の勘を取り戻すなど、技術面でのフォローに追われていますが、本当
にやりたいと思った仕事を見つけることができてよかったと思っています。そ
の機会をくれたのは、MSFでした。MSFは、単に受かるための塾ではなく
マスコミ人としてあるべき姿や、進路としてマスコミを選ぶ覚悟について、教
えてくれる塾でした。先生、本当にありがとうございました。(東京教室生)


メッセージ=IT media編集記者職内定 Mさん 2006/6/21追加掲載
初めてマスコミ・スタディ・フォーラムの授業に出た時、あまりの自分の不甲
斐なさに逃げ出したくなった。作文は時間内に半分しか書けなかった。それか
ら何度となく授業で作文や論文を書いたが、作文・論文試験は今でも苦手だ。
だが、山田先生に幾度も答案を添削して頂いたおかげで、作文で伝えたいこと
が明確になってきた。志望書も同じだ。書けば書くほど、私の心の中にマスコ
ミで働きたいと思う強い動機があることを再確認し、自信へとつながっていっ
た。
就職活動は紆余曲折であったものの、結果的に一番自分の思いを実現できる会
社に内定を頂けたと思う。目的と目標をしっかり見据えること。就職活動にお
いてはとても重要だと思う。メディアの世界で働く目的は何なのか。マスコミ
といっても、新聞やテレビなど様々な媒体がある。どの業界、どの会社を目標
とするのか。目的と目標の違いを見極めることはとても大切だと思う。面接試
験などでは、少しでも矛盾があれば、面接官の厳しい突っ込みが飛んできた。
就職活動は自分の考えの甘さを痛感する日々だった。だからこそ、私の内定は
マスコミ・スタディ・フォーラム無しにはあり得なかったと断言できる。
友人との会話や懇談を通じて、物事を深く考えることができた。特に経験豊富
な山田先生のお話は、いつも着眼点の鋭さに驚いた。少しでも多く山田先生の
お話が聞きたくて、講座の日は誰よりも早く会場に行くことを心掛けた。マス
コミで働く基礎を教えて頂いた山田先生には、いくら感謝してもし足りない思
いだ。
ようやくスタートラインに立てた。マスコミ・スタディ・フォーラムで学んだ
という自信からか、社会人になることに対して不安はない。大学卒業までの間
何が出来るのか、どんな準備をするべきなのか考え行動したい。今の自分に何
が足りないのか。まだ自分自身と向き合う日々は続きそうだ。(東京教室生)


メッセージ=毎日新聞社記者内定 Hさん 2006/6/21追加掲載
「最終面接試験、お疲れ様でした。明日の10時にご返信のほど宜しくお願いし
ます」。東京での最終面接を終え、飛行機から降りた直後のことだ。留守番電
話に録音されたこの声を聞くと、私は喜ばずにはいられなかった。MSFに通
おうと決めたのは、大学3年生の秋のことであった。恥ずかしながら、私はそ
の時点で特にやりたいこともなく、将来について何らかの展望を持ち合わせて
いる訳でもなかった。就職活動をして、適当な企業に就職しよう、マスコミも
面白そうだから、選択肢を広げるという意味で、塾にでも通っておこう−動機
としては、さしずめこんなところであった。
ところが、MSFに通い始めて、私の考え方はがらりと変わった。山田先生の
毎回の講義を通じ、記者という職業がいかに社会的意義のあるものなのか、思
い知らされた。また山田先生や他の受講生の、ジャーナリストとしての真摯な
姿勢に対しても感銘を受けた。こういう人達がいる世界に私も是非入りたい、
心からそう思った。
私はこれまでの人生を、かなりいい加減に生きてきた。真剣になる必要なんて
ない、適当にやって生きていこう、そんな考えを持った人間でさえあった。だ
が、MSFの講義を通し、真剣な人達がおり、真剣な世界があること、そして
その美しさを知ることとなった。
MSFに通ったことは、ある意味で私の人生最大の「ツキ」であったのではない
か。大袈裟ではなく、そう思う。来年の4月から新聞記者として働くことにな
る。正直、自分ができるのかという不安はあるし、実際に至らないところもあ
るとは思うが、MSFの8ヶ月間で学んだことを礎として、一人のジャーナリ
ストとして仕事をしていきたいと思っている。まだスタートラインに立ったば
かりであり、頑張らなければならないのはこれからだ。真剣に、生きていきた
い。(札幌教室生)


メッセージ=読売新聞社記者内定 Yさん 2005/10/12追加掲載
「記者になる必要があると思うなら、ならなくてはいけません」。4月の終わ
り頃、マスコミへの就職が思うようにいかず、途方に暮れていた時、山田先生
からいただいた言葉だ。この一言で私は本気で心を入れかえた。「絶対に記者
になる」。9月の本番の採用試験までこう思いながら走り続けた。
「なぜ記者になりたいのか、どういうことをしたいのか」を自問自答し続け、
新聞各紙を毎日見比べ、感じたことをノートに書いた。筆記試験に向けては毎
日欠かさず、漢字、英語、一般常識を勉強した。なぜ私が内定をもらえたか。
それは、間違いなく周りの人達のおかげだ。山田先生をはじめMSFの仲間と
過ごせた日々は決して忘れることのできない大切な思い出だ。身の周りのこと
から政治など社会で起きている出来事までお互いの意見を言い、話し合った。
面接クリニックでは、皆が真剣に見てくれ、遠慮のない感想に落ち込むことも
あったが、それが逆にもっとやる気を起こさせてくれた。
MSFを一度も休みたいと思ったことはなかった。もっと勉強したい、もっと
頑張りたい。MSFはそう思わせてくれる場所だった。また、両親はいつも私
を応援してくれ、くじけそうになった時は必ず励ましてくれる友人がいた。
「人を大切にする気持ち」。くさい言葉かもしれないが、この経験を通して一
番皆から教えてもらったことだ。私はこれからも、記者になってからもいつも
周りの人の話を良く聞いて人の気持ちを大切にしていきたい。そしてこの経験
を通して思ったことはもう一つ。「夢は自分が諦めなければ叶う」ということ
だ。記者になって成し遂げたいことを想像しながら諦めずに頑張ってきたから
こそ夢への第一歩を叶えることができた。最後に、私を支えてくださった皆さ
ん、本当にありがとうございました。(大阪教室生)


メッセージ=読売新聞社記者内定 Sさん 2005/9/27追加掲載
「MSFというマスコミ塾で半年間、真のマスコミ人になるための教育を受け
てきました」。
多くの面接官が、受かるための面接対策や受験テクニックを教えるマスコミ塾
や予備校といった存在を毛嫌いしていると思う。だから新聞社を受ける際に必
ずと言っていいほど問われる「受験に際して、どんな対策をしてきたか」とい
う質問に、「マスコミ塾での勉強」と答えるのは、得策ではないのかもしれな
い。しかし、私はこれらの質問に対して胸を張って冒頭のように答えた。
MSFで学んだことに対して、私はちっともやましさを持っていなかったし、
自信を持っていた。それは全く付け焼刃のものでなかったし、小手先の受験テ
クニックでもなかった。そもそも「受かるための勉強」ではなかったからだ。
今、MSFでの日々を振り返ってみて印象深い授業がある。その日は、私のエ
ントリーシートを基にした「面接クリニック」の日だった。私は準備してきた
資料を他の受講生に渡した後、最後に先生に手渡した。大した意味はない。単
純に自分の席から近い順に配っていっただけだ。しかし、私はその時、先生か
ら一言叱られた。思わず赤面してしまったが、こういった類の指導をしてくれ
るマスコミ塾があるだろうか、と思った。
私は、先生に「社会に出るというのはどういうことなのか」を教わった気がす
る。そして、究極的に言えば、私にとって、MSFでの授業は「なぜ、記者で
なければいけないのか」を徹底して問い続けたものであった。その答えは、正
直に言えば、まだ明確なものではない。私が記者として生きていく上でずっと
問い続けなければいけないものであるとも思っている。これから、記者を目指
す方々にも、ぜひともこの問いに対してじっくり頭がよじれるほど考えてほし
い。焦る必要はない。一つ一つの選考結果に一喜一憂することなく、真のマス
コミ人に一歩でも近づいていってほしい。(東京教室生)

※禁・無断転載。あるマスコミ予備校パンフレット(合格体験談)で、新聞社
内定という方が本欄の文章を抜き書きした文章を執筆していることを確認しま
した。想定していないことであり大変悲しい思いでおります。本欄の文章は全
て当塾生が未来の仲間に向けて、善意でお書きくださっているものです(恥ず
かしい話ですが、MSFから謝礼などのお支払いもしていません)。みなさま
のご理解をどうぞよろしくお願いいたします。※

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