読書の勧め |
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マスコミ各社に受かった受講生から「何かお勧めの本はありますか」とよく聞かれます。正直に書けば、即答が難しい質問です。まず、あなたのこれまでの読書量がわからない。次に、あなたの関心がどのようなものかわからない。最近ではジャーナリズムの本を勧めるのは難しいかなと思った方に、面白かった小説を勧めたら「あ、やっぱりジャーナリズムの本を教えて欲しかったのか」と感じることがありました。 私は学生時代、八重洲ブックセンターに置いてあるジャーナリズムやマスコミ関連の書棚を眺めると、読んだことがある本ばかりでした。自慢話ではないのですが、指導経験上、そうした学生には出会ったことがありません。一方で、どうしても自分の好みのものを読みたくなるので、あえて、さまざまなジャンルの本を読むようにしていました。 「明日のマスコミ人講座」という講座の中では、私が指定した本を読み、感想文を書いてもらっていますが、とても良く読めているなと感じさせられます。単純に良い本との出会いがないだけかもしれません。その講座の初回でずっと指定している本があります(]をたどってもらうと、書名はわかると思います)。その中にある、新聞記者であった著者の新人記者時代の上司の言葉を一つ。「同僚と飲んで楽しいか?どうせ飲むなら街の人、ふつうの人と飲め」と。 ストーブの効いた温かい部屋で笑いあうだけの青春はもったいないと思います。本からさまざま学んだら、行動に移すようにしたいですね。2026.01.08 |
新聞販売部数 |
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読売新聞の総合媒体資料によれば、全国版朝刊販売部数は5,7773,114部(ABC協会2024年7月〜12月平均)です。大変な部数だと思います。ただ、一時期に比べると半減近いことになります。 私はこの指導を始めて以来、北海道に住みますが、最有力紙は北海道新聞です。私の記録によれば、2000年12月のABC協会報告部数は1,251,781部でした。これが、25年後の今では709,335部(ABC協会2025年11月報告部数)です。25年かけて542,446部減りました。この25年という期間で見ると、年平均で21,698部減です。その減少ペースをもう少し詳細に調べましょう。 北海道新聞が100万部の大台を割り込む最後の時期(私自身、このときは大きな衝撃でした)は2017年12月(以下、いずれもABC協会報告部数)です。このときの部数は1,009,050部、つまり17年で242,731部減です。年平均で14,278部、じりじりと減ってきたような感じです。年明けの2018年1月が993,127 部でした。このあたりから急ピッチになったと思います。2024年9月には前年同月(2023年9月)比62,463部減となります。この傾向は続き、2025年4月は前年同月比62,730部減の725,441部、2025年5月は前年同月比62,956部減の723,125部となり、このペースでは12年もたない(部数ゼロまでという意味です)ことになりました。 ところが、2025年6月以降、前年同月比の減少部数は3〜4万部台で推移しており、2025年11月の前年同月(2024年11月)比は34,894部減です。一時期の6万部減のペースからみると半減です。少し緩やかとなりました。この数字ならば、ちょうど20年かけて部数はゼロです(もちろん、その前に経営が成り立たなくなっているでしょう)。さて。道新の販売店がポストに投げ入れていた宣伝ビラを見て、少し悲しくなりました。チラシの入っている量が一番なのは道新、という宣伝文句です。たしかに。しかしながら、おすすめ記事のご紹介くらいは、私が記者ならしてほしいと思いました(販売店の宣伝活動は立派です。さすがは道新、さらに頑張ってほしいという前提です)。 最近、教え子の各社社員と話す機会があり、正確な部数も知らないことに驚かされました。志望する就活生の皆さんはこの状況を良く踏まえて、ES・面接に臨んでください。社員も就活生も相当に危機意識が足りない気がしています(そんなことはない、とは思いたいですが)。誰がジャーナリズムを守るのか、どう守るのか。考え、思い続けていきましょう。2025.12.04 |
受験相談 |
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2年弱でしょうか、マスコミ・受験相談を無料でお受けしていました。 多くの方と(画面越しですが)お会いしました。基本的には講座受講の相談ではなく(そうした相談は「メイン講座・受講相談」という別のサービスで行っています)、純粋なマスコミ・受験相談でした。 プライバシーに関わりますので、詳細には書けませんが、社会人の相談者の方はなかなか次の一歩が踏み出せない様子の方が多かった気がします。ぜひ一歩を踏み出してください。第2新卒の方はマスコミ受験を繰り返していることでの焦燥感が伝わってきました。受験の度ごとにベストの状態を目指すのではなく、ベストの状態を保ち続ける努力をしてみてください(これが大切です)。簡単に結果が出ないことはこれまでの受験で経験しているはずです。一方、新卒の方はメイン講座の受講に関心をもつ方が(上記のように別のサービスをご用意しているのですが)利用してくれました。受験相談という言い方が利用しやすかったのかもしれません。 とりあえず、一旦、常時実施のサービスとしては終了しました。今後は、相談の中にもあった、一定の偏差値に達していない(いわゆる学歴フィルターにかかってしまう)学生の方でも受かる方法といったものや、社会人の方のための計画的な受験方法といった相談の場をスポット的にご用意できればと考えています。メイン講座の受講に関しての相談は従来通りとなります。ご利用ください。2025.11.05 |
テレビ出演の思い出 |
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子どもの頃、今の言葉でいえば「被災地」で過ごしたこと、そして小さな小学校で4年生からずっと児童会の役員(4年生のときは書記、5年生のときは副会長、6年生のときは会長)を務めたこともあって、テレビや新聞の取材を受ける機会が本当に多くありました。今のように「平等」といった配慮?もなかったことで安定感(たぶん)が先生方から買われてか、上級生に代わりテレビカメラの前に立つこと(テレビ局の負担で鹿児島県の桜島の小学校を訪問したこともありました)、新聞記者のインタビューを受けることも多くありました。 先日の読売新聞で、光市母子殺害事件の被害者遺族である本村洋さんについて触れられていました。テレビ出演時に局側から「笑わないでください」と注意されたというそのエピソードは、私にも少し覚えがある話でした。火山災害(その1年後に発生した「泥流」)で行方不明となった下級生への追悼式(行方不明でしたが、ほかに死者の方もいて追悼式といった記憶があります。記憶違いかもしれません)で、児童代表として多くの取材カメラの前に立った私は地元放送局のカメラマンから「顔が隠れないように追悼文を読み上げてほしい」と注文を受けました。屋外の追悼会場です。曇り空の午後、10月の北海道の秋風が強い中、テント張りで設営された祭壇の前で私は大きく手を伸ばして読みました。 途中、風で紙がめくれて読みにくくても(ちょうど視力の低下期にもありました)、素直にカメラに映るように従って読みました。字を正確に読むことができず、途切れてしまった箇所の私の場面は、言葉に詰まったように見え、繰り返し各局で放送されました。近所のおばさんたちからは涙ながらに「辛かったね。よく頑張って読んだね」と声を掛けられました。真実は原稿の文字が読みにくかっただけでした。 小さな小学校でもちろん顔も知っている下級生が突然いなくなり悲しくて仕方がないのは事実でしたが、おばさんたちにいや言葉に詰まったのではないのですと言えなかったこと、何か自分自身がとても悲しかったこと、下級生にも申し訳ないと思ったことを覚えています。その後の記者としての糧となったことは事実です。そんなことも思い出した記事でした。行方不明のままである、祭壇にあった下級生の顔写真は今も覚えています。2025.09.27(10.03一部修正、加筆) |
SNS |
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MSFはX(旧ツイッター)のほか、Blueskyを利用しています。現時点では動画を使った講義情報を提供するなどはしていません。XとBlueskyの明確な使い分けはありませんが、関心のある方は両方のフォローをお勧めします(Blueskyにはよりマスコミ関連の情報を載せているかとは思います)。 マスコミ塾や就活塾としては試験情報や試験での想定質問のようなものをどんどん載せるのが常道のようですが、本来、これらは講座生にのみお伝えすべきものでしょう(あえて言えば、本当に大切な情報はそれほど簡単に手には入りません)。 XとBlueskyでは講座に関する情報や案内、主にメイン講座での招待状送信の確認に用いるほか、マスコミ関係のニュースでこれもメイン講座生、もしくは講座受講を検討中の方に向け情報提供のツールとして利用しています。書き込み担当者は上村さんに任せているわけではなく、私も書きますので、時折、上村さんからお叱りを受けるようなこともあります(また、ごく稀に記述内容への指摘をわざわざしてくださる方がいて感謝をする一方、言葉遣いが粗い方がままいらっしゃるというのもSNSの実感です)。 メイン講座生、講座受講検討中の方を主に読者(フォロワー)の想定としており、十分に密かにやっているつもりですが、恐れ多い著名なジャーナリストの方にもフォローしていただいており、大変有難いとも思っています。マスコミ関連のニュースなどは心がけて載せていますので、それらの情報収集には便利かもしれません。そのほか、私自身のメモ代わりとしても使っています。 今日は色々と書こうかと思ったのですが、「来月のカリキュラムを作るように」との上村さん(メイン講座生以外の方はわからないですね。事務全般をお任せしており、上村さんが退職すれば、MSFは終焉します)からのメールがありましたので、続きはまたの機会に。2025.08.30 |
なぞの男 |
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昨日、20年ほど前にメイン講座へ通ってくれていた方とお会いしました。受講当時のさわやかでスポーツマンの彼はそのままでした(ちなみに、私も「変わっていない」と褒めていただきました。気を遣ってくれたのかもしれません)。 お会いした後、そのお礼のメールをいただいた中に「謎に包まれた先生」を(少し)知ることができて楽しかった、とありました。受講者から見るとどうやら私は「なぞの男」のようです。30〜40代のころは東京で週3回講座を終えたかとおもえば、次の日は大阪、そして次の日は福岡へ、また次の日は仙台で講座をやっている。と思えば、住んでいるのは北海道と言う。「本当なんだろうか」と感じる方もいたことでしょう。 講座後、受講生と一緒に帰ることなどなく、もちろん飲み会などもせず、プライベートなつきあいは一切しない。年齢もわからない(20代後半からこの仕事をしており、7〜8歳上(30代半ば)の某ブロック紙記者の方が生徒だったこともあります。その方が目標を実現された後、私の年齢を聞いて大変驚かれていました)。 「なぞの男」は飲み会をする時間があるのなら毎日読書をしたい、ときには気になる産業や戦争などの遺構(北海道内の炭鉱跡や無人島、廃村、廃線、廃道など)や音楽ホール、高校野球をひとりで見学に行く。京都での講座の際はおおむね時事教養講義の予習に追われ、本当は行きたい寺社巡りへ出かけられない(せっかく京都にいるのにどうしてホテルに籠っているのかといつも思っていました)といったように日々を過ごし、今まで生きてきました。2025.07.26 |
違いがわかる男 |
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札幌パークホテルが2027年2月に閉館するといいます。小学生の頃、父の出張に同行し宿泊したことがあります。当時、エレベーターには案内係の女性(今は死語かもしれませんが「エレガ」ですね)もいる立派なホテルでした。 朝、一階の広いティーラウンジにいると、父が驚いた表情で私に言いました。「岩城宏之がいる」。私はよくわからない人でしたが、クラシック音楽が好きだった(貧乏な家でしたが、父がカラヤンの全集?のようなレコードアルバムを分割払いで買っていて、カラヤン愛用の指揮棒のレプリカもありました)父の様子から、その男性が只者ではないことはわかりました。思い切って父が話しかけたその人は札幌交響楽団正指揮者で、当時新聞テレビによく出ていた若き有名指揮者でした。いつもクールというか冷静な父のあのような様子はその後も見たことはなかった気がします。 岩城さんは話しかけた父にきちんとした対応をしてくださり(岩城さんですか?はい、岩城です、といった感じです)、頭を下げた私にも笑顔を返してくれました。札幌パークホテルは早くに死んだ父との数少ない思い出の場所となります。ちなみに後日、その人は、一世を風靡したネスカフェのCM「違いがわかる男」としてTVに登場し、私を驚かせました。2025.06.27 |
全日空の沢 |
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子どもの頃から、気になる地名を見かけると調べたくなります。アイヌ語を由来とするものは、その説明を聞けば納得するのですが、「新山梨」「世田ヶ谷」といった地名は、いったいどうして北海道に山梨が、と不思議に思ってしまいます。その中でも特筆すべきものに「全日空の沢」というものがあります。 これは洞爺湖温泉街に残る地名?です。ネット検索で「全日空の沢」を絡めて、手を替え品を替えといった感じで調べると、ようやく「「全日空の沢」とは、北海道有珠山(うすざん)周辺にある谷のことです。有珠山噴火時には、この沢から泥流が発生し、被害が出ました。特に1977年の噴火では、泥流によって死者2名、行方不明1名の人的被害が発生したと報告されています。」といった説明にたどり着きます。 洞爺湖温泉街にはこのほか木の実団地の沢(常設保育所があったあたりの少し上に所在した木の実団地付近)、カトレアの沢(現在もある分譲マンション・カトレアのあたり)と呼ばれる沢があるようです。ならば、「全日空」はどこからきたのか。全日空(ANA)と何か関係があるのか、です。 北海道江別市近郊には「西野幌郵便局前」という謎のバス停が現存します。原っぱはあっても、郵便局はどこにもない。調べると1997年には廃止されているようです。いつか復活するのかな。2025.05.27 |
大学での私の学び3 |
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再び申し上げますが、この「大学での私の学び」は特に方向性も何もない、思いつくままの駄文です。 世の中の理不尽さを知ったというのも、大学時代の大きな学びかもしれません。もちろん、そのようなことはそれまでも経験していたけれど、世間が広がったぶん、子どものころにはよくわからなかった世の中の仕組みが見えた、ということです。 アルバイト先で図らずも責任ある立場となっていた私は、その職場である事故が発生したことから、労働関係の役所から取り調べ?を受けたことがあります。アルバイトの若い男が責任者(私)ということもあって、その取調官(正しい役所名、役職は伏せます。ご了承ください)の態度の酷いこと。この方自身も若い方でしたが、舐め切った態度と口調です。私が実は大学生だと明かすと「あれ〜、学生さんなの〜」とおふざけ調。「何を勉強しているの〜」など、今思えば、全く関係ない話しです。場慣れしていないまじめな学生は「法学部です」「〇〇法を〇〇先生に教えていただいています」と答え続けました。 ところが、この〇〇先生のお名前が、ウルトラC(若い方はわかるかな)いわば「水戸黄門の印籠」でした(この役所関係の委員か何かをお務めでした)。今までふざけていた取調官が正しく座り直したように見えました(あくまで、そう感じただけですが)。そういえばと、この日、大学のある課から呼び出しを受けていたことを思い出しました。このままでは約束の時間に遅刻しそうでしたので「大学に一本、電話をさせていただけないでしょうか」と言いましたら、なぜか即釈放となりました。もう一つ。 用事があって警察署へ行ったときのこと。窓口でけんもほろろの対応をされている女性の方がいました(警察に限らずいわゆるお役所では、結構このような対応が多かった気がします)。これは許せないと思い、また、聞いている分には十分に事件性はありそうでした。せめて刑事さんに話しだけでも聞いてもらえないかと、私も口添えをしました。「法律を少し齧っています」と言うと、「どこで齧ってきたの」とへらへらと窓口の警察官は笑います。これも正直に齧っている先の大学名と、前の例があったこともあり(今思えば、本当に若気の至りですが)「〇〇先生にご指導いただいております」(〇〇先生は警察の研修機関で講師をされていると聞いていました)と言いました。やはり「水戸黄門の印籠」はすごいものでした。すぐに2階の捜査一課に通されました(本当に実話です)。 最も公正さが求められるような場でも、こうしたことがあるというのは理不尽というほかありません。社会というのはそうした場であるとも気づかされた、大学時代でした。なお、誤解なく申し上げると、私は自分自身のために権利の行使や主張をしすぎるような人はジャーナリストに向いているととても思いません。あくまで他者のために、あなたのその力を使ってあげてください。2025.05.03 |
大学での私の学び2 |
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あらかじめ申し上げますが、今日も思いつくままに、特に方向性も何もない駄文です。 今思えば、大学での講義の合間などに「労働組合のあり方」とか、よくわかりもしないのに語り合っていたことを記憶しています。昼休みには「帝国主義打倒」を拡声器で訴える学生などもいて、その様子を横目で眺めたりもしていました。まだまだふつうの学生の間に政治的な議論があったり、何か社会を変えたいといった願望があったりと、そのような時代だったのでしょう。 私自身は小学生の頃から、実際に入学することになる大学へ進む以外の選択肢はありませんでした。いわば、あこがれの大学へ無事入学したわけです。NHKの番組風に言えば、小学生のときに「中央大法学部の衝撃」といったタイトルでもつけるべき、体験が2つあったことに起因します。 1つ目。田舎の山奥の小学生だった私です。小学校3年生の時だったか、近所のおばさんの中に若い頃、札幌の法律事務所に勤めていた方がいて「弁護士になるんだったら、北海道の大学では難しいみたいだよ」と弁護士年鑑のような本を貸してもらいました。当時、弁護士になりたい!とか話していたからです。借りたのは北海道の弁護士名簿のような本で、そこにはそれらの方の学歴も記されていました。当然、北大、北大、北大法学部と出ているのかと思えば(北海道民にとって北大は唯一無二、最高の大学です)、中大、中大、中大法学部の連続です。衝撃でした。 2つ目。町で一番のインテリのような方が英語塾を開いていて(東京外語大出の若い方でした)、私はその塾を2カ月で飽きたことにしてやめていたのですが(無理して通わせてくれた母へ遠慮しました)、たまに遊びに行っていました。よい先生でいつでも遊びにおいで、と言ってくれていたのです。その先生に話すと、「蛍雪時代」(高校3年生・浪人生が読む、当時定番の大学受験雑誌でした)を見せてくれました。そこには大学難易度のランキング表が掲載されており、早速、私は中大法学部はどこだ、どこだと探しましたが、見つかりません。先生が指で差した、法学部ランキング表。そこには1つだけ飛び出した大学がありました。ぴょんと、1校だけが表から抜きん出ていたのです(子どもの曖昧な記憶ですのでご了承ください)。驚きました。それまで名前すら知らなかった大学なのですが、日本にはこんな大学があったんだと。田舎の子どもには、今思えばいつかNHKスペシャルで取り上げたいと思うほどの衝撃でした。では時間の関係で、今日はこのへんで。2025.04.21 |
大学での私の学び |
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新聞記者になると、たいていは警察担当記者となります(最近はそうでもないようですが)。そこで役立ったのが法学部で学んだことでした。昨晩のメイン講座では新聞記事に「緊急避難」という言葉を見つけて「正当防衛」との違いを話しました(受講生の中には、優秀と思われる現役の法学部生もいますので、確認もさせていただきました)。私は学生時代、司法試験受験生がとても多い大学で学びましたので、司法試験受験生が使うような教科書を執筆された先生から直々に教わるという幸運にも恵まれました。 憲法は清水睦先生(ゼミ生でもないのに、4年生の時に書いた論文のご指導もしてくださいました)、刑法は下村康正先生(試験問題は共謀共同正犯でした)、商法は木内宜彦先生(木内先生は新進気鋭、学会注目の学者でしたが、若くしてお亡くなりになりました)と大家とされた高窪利一先生、刑事訴訟法は渥美東洋先生(数々の伝説を残されております。遅刻した学生の入室は認めないなど、大変厳しかった)、民事訴訟法はこれも大家とされた小島武司先生と大村雅彦先生(当時、助教授でした。現中央大学理事長をされています。とてもかっこいいなと思いながら聴講していました)、刑事政策は藤本哲也先生(話が面白く、またダンディな先生でした)など、思い出すまま書いてみましたが、かつての法学部生の方(もしくは司法試験受験生)ならば、オールスターキャストのような顔ぶれのように感じていただけるのではないでしょうか。懐かしく先生方のお名前を書き並べているうちに、色々と思い出してしまって時間がなくなりました。続きはまたの機会に。2025.04.14 |
北海道大学入学式 |
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今日は少し時間があり、民放各局を見ていたら北大入学式のニュースが報道され、私の住む道内での北海道大学の存在感をあらためて気づかされた思いがしました。通信社の原稿なのかと思うほど、各局アナウンサーは口を揃えて「新入生のうち道内出身者は767人で前年度1.1%減の29.6%で過去10年で最も低かった」と言います。おそらくは記者の方が北大の広報文を丸写しにして書いた記事なのかなと想像します。そうならば、もう少し原稿に工夫ができないものかと思いました(失礼)。 気になって北大への道内高校別のランキングのようなものがネットにないか、調べました。大学通信さんが公表されていて、それによると、ベスト10のうち9位までは道内の高校で一安心(10位は金沢泉丘高校)。私の在籍していた高校も9位で善戦(私のいた当時は一学年450人いたと記憶しますが、人口減少などにより、いまはその半分くらいが定員です)のようでした。 100人以上は例年合格していたはずの札幌北が97人(1位)、札幌南が70人(3位)。地域の代表校のような学校を拾えば、函館中部が14人、釧路湖陵が10人、北見北斗が8人といった感じで、いつからかわかりませんが、かつてはこんな人数ではなかったはず、といった印象です。私立を含めた授業料無償化も始まりますし、東京都が行ったような公立重点校の指定を行うなどしなければ、このままどんどん道内出身者は少なくなると思えました。北海道知事さん、頑張ってください。 あるテレビのインタビューで入学生が「高校3年間、勉強しかしていなかった」と話していました(これを悪いと言っているわけではないです。そもそもこの学生がどちらの出身なのか、テレビでは紹介がありませんでした)。私の高校時代の北大はそのような大学ではなく、札幌北高のエースピッチャーが野球ばかりしていたから、3年夏から勉強して、ダメなら浪人して目指すという大学でもありました(高校生のとき、そんな新聞記事を読んだ記憶が残っています)。こうした道内の高校生が入れるような大学であってほしいと、卒業生でもありませんが、思うニュースでした。ちなみに根室高校3人、鹿追高校1人、浦河高校1人といった高校名を見て「よくやった」と思わずにはいられませんでした。決して恵まれているとは言えない地方で君たちはどうやって勉強してきたんだい、と言いたくなります。MSFに来てくれたら、大歓迎ですよ。北海道新聞社を目指しましょうか。 せっかくブログを楽しみにしているというメールをいただいたのに、とりとめもない話しとなりました。2025.04.04 |
新聞社をやめる |
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先日のメイン講座では「新聞社をやめる」という資料を使った講義も行いました。マスコミ各社HPにある内定者が行ったという試験対策を読んでも、(通っていても)たとえば「マスコミ塾へ行った」と正直に書く人はほぼいません(MSFは小規模ですので数は多くはなりませんが、かなりの高確率で受かっていることは受講生ならば、皆知っているでしょう。大変恐縮ですが、しっかり準備をすれば、そうなります)。入り口でもそうなのですから、中の現実はもっとわからない。幻滅させるようなことでも教えておきたいと考えた講義でした。幸いにして受講生から「記者としてどうあるべきかについて考えが深まる時間でした」との感想がありました。2025.02.11 |
いちご白書をもう一度 |
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先日のメイン講座(一部のグループ)で「いちご白書をもう一度」を聞いてもらいました。学生運動の話から発展して、ですね。若い皆さんがこの曲を知らないということに、自分が歳を取ったことに気づかされました。ただ、そのあとに何人かからメールで「よかった」、「聞き入ってしまった」といった感想をもらいました。流した曲の背景には横浜の港の見える丘公園(たぶん)が映し出され、さだまさしさんの「黄昏迄」(歌詞の中に「海を見下ろす丘の上」という言葉があります。個人的には鎌倉あたりを想像しています)を思い出しました。オンラインでマスコミ講座を行うようになって、こうしたことができるようになったのはメリットでしょうか。2025.02.11 |