マスコミ塾の名門 就活・転職|MSF マスコミ・スタディ・フォーラム 

過去の学校だより

MSFブログ02


大学での私の学び2

あらかじめ申し上げますが、今日も思いつくままに、特に方向性も何もない駄文です。

今思えば、大学での講義の合間などに「労働組合のあり方」とか、よくわかりもしないのに語り合っていたことを記憶しています。昼休みには「帝国主義打倒」を拡声器で訴える学生などもいて、その様子を横目で眺めたりもしていました。まだまだふつうの学生の間に政治的な議論があったり、何か社会を変えたいといった願望があったりと、そのような時代だったのでしょう。

私自身は小学生の頃から、実際に入学することになる大学へ進む以外の選択肢はありませんでした。いわば、あこがれの大学へ無事入学したわけです。NHKの番組風に言えば、小学生のときに「中央大法学部の衝撃」といったタイトルでもつけるべき、体験が2つあったことに起因します。

1つ目。田舎の山奥の小学生だった私です。小学校3年生の時だったか、近所のおばさんの中に若い頃、札幌の法律事務所に勤めていた方がいて「弁護士になるんだったら、北海道の大学では難しいみたいだよ」と弁護士年鑑のような本を貸してもらいました。当時、弁護士になりたい!とか話していたからです。借りたのは北海道の弁護士名簿のような本で、そこにはそれらの方の学歴も記されていました。当然、北大、北大、北大法学部と出ているのかと思えば(北海道民にとって北大は唯一無二、最高の大学です)、中大、中大、中大法学部の連続です。衝撃でした。

2つ目。町で一番のインテリのような方が英語塾を開いていて(東京外語大出の若い方でした)、私はその塾を2カ月で飽きたことにしてやめていたのですが(無理して通わせてくれた母へ遠慮しました)、たまに遊びに行っていました。よい先生でいつでも遊びにおいで、と言ってくれていたのです。その先生に話すと、「蛍雪時代」(高校3年生・浪人生が読む、当時定番の大学受験雑誌でした)を見せてくれました。そこには大学難易度のランキング表が掲載されており、早速、私は中大法学部はどこだ、どこだと探しましたが、見つかりません。先生が指で差した、法学部ランキング表。そこには1つだけ飛び出した大学がありました。ぴょんと、1校だけが表から抜きん出ていたのです(子どもの曖昧な記憶ですのでご了承ください)。驚きました。それまで名前すら知らなかった大学なのですが、日本にはこんな大学があったんだと。田舎の子どもには、今思えばいつかNHKスペシャルで取り上げたいと思うほどの衝撃でした。では時間の関係で、今日はこのへんで。2025.04.21


大学での私の学び

新聞記者になると、たいていは警察担当記者となります(最近はそうでもないようですが)。そこで役立ったのが法学部で学んだことでした。昨晩のメイン講座では新聞記事に「緊急避難」という言葉を見つけて「正当防衛」との違いを話しました(受講生の中には、優秀と思われる現役の法学部生もいますので、確認もさせていただきました)。私は学生時代、司法試験受験生がとても多い大学で学びましたので、司法試験受験生が使うような教科書を執筆された先生から直々に教わるという幸運にも恵まれました。

憲法は清水睦先生(ゼミ生でもないのに、4年生の時に書いた論文のご指導もしてくださいました)、刑法は下村康正先生(試験問題は共謀共同正犯でした)、商法は木内宜彦先生(木内先生は新進気鋭、学会注目の学者でしたが、若くしてお亡くなりになりました)と大家とされた高窪利一先生、刑事訴訟法は渥美東洋先生(数々の伝説を残されております。遅刻した学生の入室は認めないなど、大変厳しかった)、民事訴訟法はこれも大家とされた小島武司先生と大村雅彦先生(当時、助教授でした。現中央大学理事長をされています。とてもかっこいいなと思いながら聴講していました)、刑事政策は藤本哲也先生(話が面白く、またダンディな先生でした)など、思い出すまま書いてみましたが、かつての法学部生の方(もしくは司法試験受験生)ならば、オールスターキャストのような顔ぶれのように感じていただけるのではないでしょうか。懐かしく先生方のお名前を書き並べているうちに、色々と思い出してしまって時間がなくなりました。続きはまたの機会に。2025.04.14


北海道大学入学式

今日は少し時間があり、民放各局を見ていたら北大入学式のニュースが報道され、私の住む道内での北海道大学の存在感をあらためて気づかされた思いがしました。通信社の原稿なのかと思うほど、各局アナウンサーは口を揃えて「新入生のうち道内出身者は767人で前年度1.1%減の29.6%で過去10年で最も低かった」と言います。おそらくは記者の方が北大の広報文を丸写しにして書いた記事なのかなと想像します。そうならば、もう少し原稿に工夫ができないものかと思いました(失礼)。

気になって北大への道内高校別のランキングのようなものがネットにないか、調べました。大学通信さんが公表されていて、それによると、ベスト10のうち9位までは道内の高校で一安心(10位は金沢泉丘高校)。私の在籍していた高校も9位で善戦(私のいた当時は一学年450人いたと記憶しますが、人口減少などにより、いまはその半分くらいが定員です)のようでした。

100人以上は例年合格していたはずの札幌北が97人(1位)、札幌南が70人(3位)。地域の代表校のような学校を拾えば、函館中部が14人、釧路湖陵が10人、北見北斗が8人といった感じで、いつからかわかりませんが、かつてはこんな人数ではなかったはず、といった印象です。私立を含めた授業料無償化も始まりますし、東京都が行ったような公立重点校の指定を行うなどしなければ、このままどんどん道内出身者は少なくなると思えました。北海道知事さん、頑張ってください。

あるテレビのインタビューで入学生が「高校3年間、勉強しかしていなかった」と話していました(これを悪いと言っているわけではないです。そもそもこの学生がどちらの出身なのか、テレビでは紹介がありませんでした)。私の高校時代の北大はそのような大学ではなく、札幌北高のエースピッチャーが野球ばかりしていたから、3年夏から勉強して、ダメなら浪人して目指すという大学でもありました(高校生のとき、そんな新聞記事を読んだ記憶が残っています)。こうした道内の高校生が入れるような大学であってほしいと、卒業生でもありませんが、思うニュースでした。ちなみに根室高校3人、鹿追高校1人、浦河高校1人といった高校名を見て「よくやった」と思わずにはいられませんでした。決して恵まれているとは言えない地方で君たちはどうやって勉強してきたんだい、と言いたくなります。MSFに来てくれたら、大歓迎ですよ。北海道新聞社を目指しましょうか。

せっかくブログを楽しみにしているというメールをいただいたのに、とりとめもない話しとなりました。2025.04.04



新聞社をやめる

先日のメイン講座では「新聞社をやめる」という資料を使った講義も行いました。マスコミ各社HPにある内定者が行ったという試験対策を読んでも、(通っていても)たとえば「マスコミ塾へ行った」と正直に書く人はほぼいません(MSFは小規模ですので数は多くはなりませんが、かなりの高確率で受かっていることは受講生ならば、皆知っているでしょう。大変恐縮ですが、しっかり準備をすれば、そうなります)。入り口でもそうなのですから、中の現実はもっとわからない。幻滅させるようなことでも教えておきたいと考えた講義でした。幸いにして受講生から「記者としてどうあるべきかについて考えが深まる時間でした」との感想がありました。2025.02.11



いちご白書をもう一度

先日のメイン講座(一部のグループ)で「いちご白書をもう一度」を聞いてもらいました。学生運動の話から発展して、ですね。若い皆さんがこの曲を知らないということに、自分が歳を取ったことに気づかされました。ただ、そのあとに何人かからメールで「よかった」、「聞き入ってしまった」といった感想をもらいました。流した曲の背景には横浜の港の見える丘公園(たぶん)が映し出され、さだまさしさんの「黄昏迄」(歌詞の中に「海を見下ろす丘の上」という言葉があります。個人的には鎌倉あたりを想像しています)を思い出しました。オンラインでマスコミ講座を行うようになって、こうしたことができるようになったのはメリットでしょうか。2025.02.11