NHK・全国紙等へ多く実績がある講座。随時入会でき、すぐに準備が進められます。


マスコミ人、社会人としての意識はもちろん、ES、作文、面接そして時事教養。


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メイン講座<マスコミ・一般企業への就職転職採用試験向け総合対策講座>
受講生による主な合格体験記を公開しております(2001/5/24以降随時更新)
誤字脱字を除き、ほぼ原文のまま掲載しています   下記のほかの合格体験記はこちらへ
本欄でご紹介の合格体験記は全てMSFのメイン講座受講生によるものです。
在籍時に、このメッセージを羅針盤として活用した先輩がお書きくださったものです。
受講はあくまでご自身でお決めいただくものですが、受講のご判断の一助として、あるいは受験に挫けそうな時に、再度お読みください。
メイン講座は随時受付中です。
「単に「受かる」人ではなく、真のマスコミ人を育てたい」。
MSFはみなさまの受講をお待ちしています。
次はあなたにメッセージのご依頼をさせてください。
◎本欄でメイン講座受講の各内定者がご紹介してくださっている山田先生の面接指導などは
メイン講座ほか、マスコミ&一般企業<Zoom指導>ES面接・個別ゼミアナウンサー<Zoom指導>ES面接・マンツーマンゼミなどでも受講することができます。
なお、文章は執筆者の個人的なご意見やご感想です。あらかじめご理解ご了承ください。
<MSF出身で各社内定の方へ>大変失礼ながら、ご依頼の漏れはご容赦ください。執筆をお願いできる場合には、事務局・上村宛てぜひお知らせください。

<内定者からのメッセージ・毎日新聞社記者内定者(20/03/02掲載)>
MSFが無かったら私はどうなっていたのだろう。
確実に言えることは、私は新聞記者になれていない。
大学を中退し、年齢も高い私が「新聞記者」特に「全国紙の記者になりたい」と言うことは狂気の沙汰だった。学生のころから、記者への漠然とした憧れがあった。若い頃には、何の対策も取らず新聞社の試験も受けている。結果は、当然のごとく箸にも棒にもかかっていない。多くの会社は面接どころか 書類選考も通過しなかった。
就職できたのは、大量採用をしていたテレビ番組制作会社の契約職員だった。民放キー局の報道番組に派遣され、アシスタントディレクターにはなったが、新聞記者になることは夢のまた夢になっていた。
テレビ番組の制作は、素晴らしい仕事である。だが、学生時代から憧れていた新聞記者への思いが消えることはなかった。なぜテレビではなく新聞なのかを説明することは難しいが、私の中で単純に記者とは新聞記者という考えがあるからだと思う。
「どうしても新聞記者になりたい」と考えていた私は行動に移す。文章を書くことが苦手で、さらに人前で話すことも不得意なため、それらの能力を高めるため、東京の某マスコミ塾に通うことにした。
そのマスコミ塾の講座では、私の模擬面接が始まるとクラスの中から失笑が起きる。作文を担当講師に読んでもらうと「文章になっていない」などの辛辣な言葉が返ってくる。心が折れ何一つ学びがないまま、3カ月で某マスコミ塾は辞めることになった。
のちに、一般に低学歴の人間はこうしたマスコミ塾、就活塾には歓迎されないことを知った。手間がかかるだけで内定率を下げるからだろう。一方で、有名大学の学生ならば黙っていても受かるような人がいる。ジャーナリズムも何もない、私が某マスコミ塾で受けた指導のように「エグイことを書け」といった空疎で軽薄なテクニックを身につけるだけでも受かってしまうのだ。商売ならば、それら学生が歓迎されるのは無理もない。
それでも、記者への思いをずっと捨てきれなかった私は30歳を超えて偶然見つけたマスコミ・スタディ・フォーラム(MSF)のホームページからメイン講座を申し込むことにした。
そのMSFだが、講座そのものが私の想像と全く違った。山田先生から学んだことは、試験に受かるためのテクニックではなく、記者になるという自己実現ではなく、読者のため、社会のために記事を書くという心構えだ。先生だけでなく、講座生のマスコミ就職に対する意識が違う。皆でエントリーシートを持ち合って喫茶店で行った自主的な勉強会。身近に起きた四季の変化やイベント参加などの感想を「みんなのページ」で報告。受かるための対策ではなく、読者や社会のために仕事をする、本物のマスコミ人になるための勉強だった。
山田先生のお人柄に惚れた私は、メイン講座だけでなく通信講座なども利用させていただき、ESや作文の予定稿を仕上げていった。とはいえ、冒頭に書いたように私には学歴もなければ年齢も若くない。すぐにマスコミ試験で良い結果が出ることはなかった。
この間、テレビ番組制作会社を辞めて、いくつかの職業を重ねもしたが、目指す全国紙の試験で桜咲くことはない。私には一般紙の記者は到底無理だと実感し何度も諦めようとしたが、その都度(この間、経済的な事情から、講座を離れていた時期もあったが)先生は優しく、的確な励ましをくださり、思い留まることができた。
年齢的にも最後の挑戦と決めていたのが、今回の採用試験だ。再受講を決め、必死に取り組んだ。結果はMSFで学んだ全てを本番でぶつけ、全国紙記者の内定をいただくことができた。これはもちろん私一人の力ではない。山田先生、事務局の上村さん、そして私を励まし支えてくれた多くの講座生の力があって達成できた現実だと思う。
私は、全国紙の記者として働くことができる。だが、これは始まりであり、ゴールではない。私はこれからも学び続けようと思っている。MSFから離れることになるが、MSFで学んだ記者としての心構えは、これからも胸に秘め、精進していくつもりだ。
10年前の私は、「全国紙の記者になりたい」と夢を語り周囲に笑われていた。MSFは、私のような人間にも門戸を開き、温かく迎えてくれる場であった。次の私の夢は、MSFのOBとして山田先生の教えを守りながら、毎日新聞の一面を飾る記事を書き、新聞協会賞を獲得することだ。(東京教室生)
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朝日新聞社 記者職内定 Hさん (東京教室生)2018/09/24掲載
朝日新聞社 記者職ほか内定 Mさん(東京教室生)2012/10/26掲載
朝日新聞社内定 Oさん(東京教室生)2007/10/16追加掲載
朝日新聞社、共同通信社ほか内定 Iさん(東京教室生)2008/1/4追加掲載
朝日新聞社  出版編集・Sさん(仙台教室生) 2001/5/24掲載
NHK 記者職内定 Mさん(東京教室生)2013/10/03掲載
NHK記者職内定・Hさん(東京教室生)2012/05/12掲載
NHK記者職内定・Mさん(東京教室生)2011/12/22掲載
NHK記者内定 Oさん(東京教室生、通信生)2009/8/28追加掲載
NHKアナウンサー内定・Aさん(札幌教室生)2001/5/24掲載
NHK・アナウンススタッフ内定 Sさん(札幌教室生)2003/3/4追加掲載
NHKディレクター職内定・Kさん(東京教室生)2011/6/30掲載
読売新聞社 記者職ほか内定 Wさん(東京教室生)2018/03/20掲載
読売新聞社記者内定 Sさん(東京教室生)2005/9/27追加掲載
読売新聞社 記者職内定 Mさん(東京教室生)2013/06/10掲載
読売新聞社 記者職ほか内定 Bさん(東京教室生)2012/10/26掲載
読売新聞社記者内定 Nさん(東京教室生)2009/12/1追加掲載
読売新聞社内定 Wさん(東京教室生)2007/6/28追加掲載
日本経済新聞社 記者職内定 Kさん(東京教室生)2018/07/05掲載
毎日新聞社 記者内定・Hさん(東京教室生) 2015/1/13追加掲載
毎日新聞社  記者・Hさん(札幌教室生) 2001/5/25追加掲載
毎日新聞社記者内定 Tさん(東京教室生)2005/6/8追加掲載
毎日新聞社 営業管理 内定 Sさん(東京教室生)2008/6/29追加掲載
産経新聞社記者内定 Tさん(東京教室生)2006/11/24追加掲載
共同通信社 記者職内定 Sさん(東京教室生)2013/10/03掲載
共同通信社記者内定 Fさん(東京教室生)2003/6/6追加掲載
時事通信社記者内定 Tさん(東京教室生)2005/8/28追加掲載
北海道新聞記者内定・Sさん(東京教室生) 2016/04/27追加掲載
北海道新聞社記者職内定・Tさん(札幌教室生)2012/06/05掲載
北海道新聞社記者職内定・Sさん(札幌教室生)2011/8/03掲載
河北新報社内定 Mさん(東京教室生)2008/1/4追加掲載
中日新聞社記者内定 Oさん(札幌教室生)2010/7/5追加掲載
山陽新聞社記者内定 Kさん(東京教室生)2005/8/27追加掲載
西日本新聞社 記者職ほか内定 Sさん(東京教室生)2012/10/1掲載
金融経済専門出版社内定 Hさん(東京教室生)2015/1/13追加掲載
ベネッセコーポレーション総合職内定 Tさん(札幌教室生)2002/9/27追加掲載
東映・総合職内定 Mさん(札幌教室生)2002/10/18追加掲載
その他・過去の全ての合格体験記
 

■朝日新聞社 記者職内定 Hさん (東京教室生)2018/09/24掲載
なぜ記者でなければならないのか。昨年の十月にMSFへ入塾して以来考え続けてきた。大学でジャーナリズムを学び、記者は社会を現状よりも住み良いものに変えていける仕事と思っていた。だが、エントリーシートで表現できても面接時に自分の言葉で伝えることができていなかった。昨年の就活は一次面接で終わってしまうことが多かったが、記者になりたいという思いは変わらず強かった。自分を変えるため、面接指導でお世話になった山田先生の下で一から鍛え直そうと思い入塾した。
MSFで学んだことは多い。「記者とは理想を語る仕事」という先生の言葉が印象に残っている。理想の記者像や社会を語るためにも、普段から自分の行動や考え方をいかに律するかが重要と気がついた。私の手本は、山田先生の講座での立ち振る舞いである。先生の誰にでも誠実に対応する人間性と、日々学ぼうとする姿勢こそ記者にとって欠かせないものだと思う。私も少しずつだが行動や考え方を変えていこうと試みた。
事務局の上村さんは直接お会いしたことはないが、丁寧なメール対応から社会人のマナーを学ばせていただいた。ご迷惑をおかけしたことも多く、この場で改めて謝罪と感謝を申し上げたい。MSFに入塾してから、マスコミ受験において志を共にする仲間の存在が支えとなった。他の受講生から受けた助言は、エントリーシートや面接において役立った。懇談では自分と異なる視点を知り面白く参考になった。
就活は厳しく辛いことが多いが、山田先生と受講生のおかげで楽しく臨むことができた。内定の連絡を受けた時、嬉しさよりも気が引き締まる思いだった。MSFで「どうして記者になりたいか、そのためにはどうすべきか」を学び考え続けてきたからだと思う。記者になる上での根幹をつくっていただいたMSFの皆様には感謝してもし尽くせない。

■朝日新聞社 記者職ほか内定 Yさん (東京教室生)2017/03/02掲載
2年前のちょうど今頃、まもなく大学3年生になろうとする私は、なにもかも中途半端だった。元記者の祖父がいたから、メディアの世界に漠然と憧れはあった。けれど、なぜ仕事をするのか。自分が何をしたいのか。そんなことすら明確ではなかった。何かを変えなければ。そう焦っていたとき、インターネットでMSFのホームページを見つけた。そこに掲載されている山田先生の言葉や合格体験記を読み、うわべだけでない本当の学びが得られると直感した。
日々の講座は反省の連続だった。作文では繰り返し指摘を受け、懇談では考えの浅さを思い知らされる。山田先生や受講生の方の発言を聞き、仕草を見て、必死に盗もうとした。
学びは講座だけに限らない。山田先生や事務局の上村さんからいただくメールの内容や文章の書き方からも、学べることは山ほどあった。なかでも忘れられないメールがある。
「マスコミの仕事は『人のため』の仕事です。そのためにする努力は、自分のためと思えば、つらいこともありますが、人のためと思えば、何ということもないはずです。頑張ってください」。採用活動の解禁日が近づき、決意のメールを送ったとき、山田先生はこう返してくださった。「マスコミの仕事は人のため」。講座で何度も教えられていたことだ。だがこのときは、就活の本番を前に浮き足立っていた自分をいさめられた気がした。
そして、勇気をもらった。世の中のどこかに取材を待っている人がいる。記事を待っている人がいる。ならば、自分が記者にならなくては。憧れは決意に変わっていった。
「就職活動は受かることが目的ではない」。山田先生はそう強調される。私はこの言葉を「就職活動は働くために必要な最低限の準備だ」と解釈する。それは、仕事とは何か、何のために働くのかを考えることだ。同時に、自分という人間と向き合うということだ。だから、つらいことも多い。日々、自分の至らなさを痛感する。やはり自分には無理なのではないか。他の職業の方があっているのではないか。私もそう考えたことがあった。おそらく、多くの人がそういう場面に遭遇する。もちろん、最後は自分で解決し、決断しなくてはならない。でも、山田先生がいる。MSFの仲間がいる。この場所は考えるヒントに満ち満ちている。大いに迷い、焦らず少しずつ前に進んで欲しい。時に周りにもしっかり目を向け、切磋琢磨していって欲しい。
今後、幾度となく立ち止まる場面があるだろう。そういうときは、きっと思いだす。MSFで山田先生や受講生の皆様と、悩み、考え、笑った時間を。そうやって前に進んでいけると確信している。また、就職活動を経て、自分が多くの人に支えられてきたことを実感した。周囲の人への感謝の気持ちも忘れずにいよう。そして、今度は私が役に立つ番だ。
最後に、山田先生、上村様、受講生の皆様、これまでお世話になり、本当にありがとうございました。

■朝日新聞社 記者職ほか内定 Mさん(東京教室生)2012/10/26掲載
「マスコミ 塾 就職」
インターネットでこんな言葉を検索したのがすべての始まりだった。MSFのホームページで目に留まったのが合格体験記。よくあるやつか。最初は軽い気持ちで読んでいた。
しかし、そこには一人ひとりのマスコミ企業への本気の思いが、そして山田先生への感謝が綴られている。にじみ出る本音に胸を打たれた。ここでなら頑張れるかもしれない。春採用で筆記試験にほとんど不合格だった私が一筋の希望の光を見た瞬間だった。秋採用にかけてみよう。
だが入塾してからは正直、苦悩の連続だった。エントリーシートを何度書き直しても山田先生に沢山のご指摘をいただく。MSFに行き、家に帰ってはエントリーシートに毎晩、頭を悩ませた。答えは何か。考えれば考えるほど、どつぼにはまっていくような、そんな気分だった。投げ出したくなるようなことも何回もあった。
それでも続けることができた理由。それは山田先生という存在だ。エントリーシートは投げ出したいと思っても、MSFの講義を投げ出したいと思ったことは一度もない。山田先生のニュースに対する考え方に何度も刺激され、楽しい会話に笑顔が絶えなかった。「自分だったら、どう取材するか」。当日の新聞に受講生同士で意見を言い合う「懇談」では、自然に考えさせられた。
仲間の存在も大きい。既卒の方が多かったからこそ学生として学べることも沢山あった。多種多様な経験をしている人たちもまたライバル。そんな緊張感を味わうことができたのも、MSFならではと私は考えている。
それでも秋の採用試験が近づくにつれ、春での失敗がよみがえった。「またダメかもしれない」。ネガティブ思考の私の頭には、そんな言葉が駆け巡っていた。太陽が強く照りつける8月半ば、山田先生は面接練習を終えた私に言った。「君は合格圏内。だからもうひと頑張り、自分の頭で考えなさい」。この言葉は今でも忘れられない。つらいときは何度も思い出した。あの言葉があったからこそ、いま内定を手にしていると言っても過言ではない。厳しく優しい山田先生がいたからこそ、続けることができた。
エントリーシートに頭を抱えながら、あのとき私は考えた。答えは何か。今ならわかる気がする。正解はないというのが答えだということを。だから自分の頭で考え、自分の言葉で表現しなければいけない。採用試験だけの話ではないと思う。私は未熟だ。何事にも想像力を働かすこと、そして練り上げるように自分の頭で考え、表現することをこれからも続け、精進していきたいと思う。
最後になりましたが、山田先生、事務局の上村様、そして切磋琢磨した仲間に心よりお礼を申しあげたい。ありがとうございました。

■朝日新聞社内定 Oさん(東京教室生)2007/10/16追加掲載
朝日新聞社から内々定の連絡を受けた翌日、私は手続きのために築地の東京本社に出向いた。まだ容赦ない9月の空に見上げた社屋は、面接で幾度か訪れたときよりもはるかに重厚なイメージを私に抱かせた。緊張と興奮。MSFでは記者として働くための準備を十分にしてきたつもりだった。しかし、実際にスタートラインに立つと、ジャーナリズムの世界で本当にやっていく自信があるかどうか、再度自分に問いかけたい衝動に駆られた。答えはもちろんイエスだが、武者震いがした。
私がMSFの門を叩いたのは、5月の連休明けだったと思う。「受かるためだけの勉強をしない」という塾の姿勢が気に入って入塾を決めた。また、春の失敗を省みて、私はジャーナリズムの世界についてもっと知らねば、と考えていた。狙いが明確だったからこそ、私が在籍した4ヶ月間はとても充実した時間になった。
山田先生は理想的なジャーナリストであるとともに、実に誠実な人間である。
先生の期待を裏切るようなことは絶対にしてはならないと思わせる不思議な魅力が備わっていた。漢字テストの成績が悪いとき、提出した課題に欠陥があったとき、懇談で生ぬるい指摘をしたとき、選考の過程で弱音を吐いたとき、先生は私を厳しく叱ってくれた。当たり前のことができない人間が、記者として、社会人としてやっていけるはずがない。そのたびに私は本気になれたし、先生もそれに応えてくれた。
また、講座の仲間にも恵まれた。エントリーシートの添削や模擬面接では忌憚なく適切な指摘をしてもらい、講座外の勉強会でもお互いの意見をぶつけ合った。本気の仲間とともに過ごせた時間は私の大きな財産である。
MSFに通い始めてから、授業のある曜日を中心に毎日が展開した。新聞を読み、漢字を練習し、エントリーシートを書き直し、先生に薦められた本を読み漁ったりして、非常に濃密な時間が流れた。大学の友人のほとんどが就職先を得て遊びほうけていたが、私には焦りや後ろめたさなどなく、むしろジャーナリズムの世界にのめり込んで行くことに夢中だった。秋の採用試験はまさに背水の陣だが、MSFで得た知識や経験に加え、先生や仲間の存在がいつでも私を勇気付けてくれた。
合格は、私一人の力では絶対に勝ち得なかった。山田先生、MSFの仲間、両親、友人ら多くの人々に支えられて今の自分がある。
しかし、ジャーナリストは社会の多くの人々を支える職業だ。私はこのとてつもない使命を抱えてこれから生きていくことになる。
私は、「負けない」ジャーナリストになりたい。権力、暴力、不正、誘惑、弱さ。挙げればきりがない。これらに立ち向かっていく勇気の尊さを私はMSFで教わった。言葉で表現する職業に就くのに、この感謝の気持ちは上手く言い表せない。ありがとうございました。頑張ります。

■朝日新聞社、共同通信社ほか内定 Iさん(東京教室生)2008/1/4追加掲載
MSFに通うこと一年、念願の記者職内定をいただくことができました。これも常に真剣に、率直にアドバイスをくださった先生をはじめ受講生の皆さんがいたからこそだと思っています。本当にありがとうございました。
記者になると決めたのは高校生の時です。それ以来、大学での勉強や留学、国際会議参加、NGO活動など、最終目標につながるよう、また記者として関わりたい分野に強くなれるよう、学生生活を過ごしてきました。おそらく多くのマスコミ受験生がそうであるように、絶対記者職以外は考えられないと思っていました。
そんな中、MSFの存在を知り、体験談や山田先生の方針を読むうちに、ここでなら受験テクニックではなく、記者として必要なことを学びながら準備ができると確信し、入塾を決めました。MSFの授業はそんな私の期待にこたえてくれました。先生の話からは記者としての倫理観や心構えを学び、作文では文章力、面接クリニックでは表現力を養うことができました。
中でも授業で一番好きだったのは新聞の「懇談」です。受講生や先生のニュースの見方、気づきから毎回新しい発見がありました。また、自分も「懇談」の度に新聞やニュースを深く読み込み、問題について調べて準備をして臨みました。普段人前で話すのは苦手だったのですが、いかに相手に分かりやすく伝えるかという訓練にもなりました。
授業では正直なところ、何度恥じをかいたか分かりません。稚拙な作文、志望書、自分の知識の乏しさや視点の狭さに落ち込むこともありました。しかし、授業で恥をかき、周りの率直な意見、批評、アドバイスをいただくことができたからこそ、独りよがりにならず、本番でも結果が出せたのだと思います。MSFでは数え切れないくらい多くのことを学びましたが、最も心に強く残っている先生の言葉が二つあります。それは内定が最終目標ではないこと。そして記者とは自己実現をするための職業ではないことです。当たり前のことといえば当たり前のことですが、新聞社受験が迫るにつれ、受かりたいという思いが強くなればなるほど自分の大きな目標を見失いがちになってしまいました。
私は、実は春にも新聞社と通信社を受けましたがほとんど結果が出ませんでした。試験の前には、他のことより新聞社受験を優先して、勉強に時間を費やしていました。今まで行っていたNGOの活動や自分の興味の分野、人と会う時間はなるべく削減していたのです。しかし最終的な目標を考えれば、勉強も必要ですがそれだけではなく、人と会うこと、様々な場所へ行って自分の目で確かめ、問題点を発見することのほうがはるかに重要で有意義なことだと感じるようになりました。
秋受験に向け自分の好きなこと、新しい経験をすることも続けました。そして自己実現ではなくて自分はどうして新聞記者になる必要があるのか、常に心に留め、面接でも率直な思いを伝えるように努めました。すると春とは違い、全ての面接後には達成感、満足感を感じることができたのです。内定をいただいたこれからがスタートです。MSFで学んだことや初心を忘れずに自己実現のためではなく、社会に貢献できる記者になりたいと思います。

■朝日新聞社  出版編集・Sさん(仙台教室生) 2001/5/24掲載
大学三年生の秋、たまたまマスコミ・スタディ・フォーラムのホームページを見つけたこと。のちにこれが人生のターニングポイントになったと振り返る日も来るのだろう。この偶然の出会いのように、就職活動では何度か強運に恵まれることがある。重要なのは、その運を最大限に生かせるかどうかだ。
初めて講座に参加した私は、何よりもその内容の質の高さに驚いた。マスコミの本質に迫る業界研究に、実践的かつ非常に丁寧な作文指導。求められる次元の高さに、自信を失いかけたこともあった。しかし今考えればここで一度初心に戻れたことが良かったのだと思う。
「マスコミに入りたい」。多くの人が持つ夢だ。受験人数の圧倒的な多さからもよくわかる。しかし十分に考えぬいた上で、臨む人がどれだけいるのだろうか。
マスコミの試験は難しい。表面的な熱意や曖昧な動機では絶対受からない。過信を捨て、根拠のある本当の自信を築き上げる。そのことを先生は何度も教えてくれた。なぜ雑誌を作りたいのか。それをひたすら考え続けた半年間だった。身近に同じ目標を持つ仲間がいることもとても心強かった。話し合い励まし合い、お互いを高めてきたように思う。
また、悩んだ時や行き詰まった時、先生は本当に親身になって相談に乗ってくれた。就職活動において、志を同じくする人々の存在はとてつもなく大きく、そしてかけがえのないものだと思う。このような周りの人々との出会いも縁であり、運である。しかし、この関係があるのも自分が一生懸命頑張ってきたことの結果と捉えたい。
真のマスコミ人を育てたい。それが、マスコミ・スタディ・フォーラムの姿勢だ。
将来に対する熱意をしっかり持ち、努力を惜しまない人は暖かく迎えられるだろう。そしてもしその門を叩いたならば、運を手放すことのない様、止むなき邁進を続けてほしい。

■NHK 記者職内定 Mさん(東京教室生)2013/10/03掲載
私がMSFと出会ったのは、2009年の春先だった。それからMSFの指導のもと、2011年からNHKの契約職員として記者になることができた。契約職員になってからも正職員の試験を受けたが、一度、落ちてしまったことがある。
その時は、同じ組織の中で働いていてもだめなのかと、落ち込みはしたが、諦めようとは思わなかった。なぜなら、契約職員になる前に、しっかりとMSFで学び、諦めることが一番してはいけないことだと分かっていたからだ。それを教えてくれたのは山田先生であり、ともに汗と涙を流した仲間だった。そして、今回、遠回りはしたが内定を得ることができた。
これまで3年弱、NHKで働いきて思うことは、MSFで学んだことは真実だということだ。山田先生のジャーナリストとしての理念、社会へ奉仕する意味など、すべてが取材の現場で生かされている。その経験があったからこその内定だと実感している。
今、MSFで学ばれている皆さんや、受講を迷っている皆さんのなかには、道が険しく諦めようと思っている方もいるかもしれないが、絶対に諦めないでほしい。山田先生の言葉を借りるなら、「記者になりたいと思ったのなら、諦めてはいけない」のだと思う。取材現場に立つと、伝えたいものがある記者、その思いを持つ記者ほど、強いものはないと感じるからだ。だから、今、MSFで学ばれている方には、今の経験を無駄にしないでほしい、受講を迷っている方にはこのチャンスを逃さないでほしい。そして記者になった時に初めて、MSFで学んだ真の価値が実感できるはずだ。 私もこれからまだまだ成長しなければならない。自分が記者になって良かったと思うのではなく、視聴者や社会からこんな記者がいて良かったと思われる記者になりたい。その思いを支えてくれるのは、MSFでの経験であり、山田先生から教えていただいたジャーナリズム精神だ。今後も努力を惜しまず、MSFの名に恥じない記者を目指していく。

■NHK記者職内定・Hさん(東京教室生)2012/05/12掲載
一年前の四月、私は某新聞社の最終面接を受けた。
「なんで記者になりたいの」。
こんな初歩的な質問に、私は答えられなかった。なぜ自分は記者になりたいのか。その日から一年間かけてその答えを探してきた。
夏休み、記者は諦めよう、そう思っていた。毎日友達と海に行ったりバーベキューをして過ごしたが、何一つ楽しくない。このままじゃダメだ。自分には嘘がつけなかった。
そんな時、たまたま見つけたのがマスコミ・スタディ・フォーラムだった。弱い自分を変えたいと思っていた私は、真のマスコミ人を育てる、という言葉に本物を感じた。
初めての授業は全クラス合同授業だった。張り詰めた雰囲気の中、真剣な表情の受講生たちは先生の話に、一言一句漏らさないかのように耳を傾けている。私はここで食らいついていけば絶対に受かる、そう確信した。
それまでろくに新聞も読んでいなかったが、毎日二時間かけて読み込んだ。気になったものはメモにとり空いた時間に読み返した。授業冒頭の懇談のために話す内容を考え、うまく伝わるように、話し方を心掛けた。授業開始の十五分前には会場に着き、挨拶は元気よく。一日を効率よく過ごすための朝は定時に起き、一日のリズムを作った。私の場合、そんな初歩から始めなければならなかった。だが、そういう細かいことが後の面接に役立った。
それでも弱い私には気持ちにムラがあった。今日はいいか、と思い、今日やるべきことを明日に回す。そういう甘えを山田先生は見落とされない。真剣に叱ってくださった。私はそのことが嬉しかった。真摯に向き合ってくれる大人がどれだけいるだろうか。山田先生を裏切れない。その思いが自分を支えた。
マスコミ・スタディ・フォーラムには様々な事情を抱えながら、同じ目標に向かうライバルがいる。みんな私なんかより知識も経験も豊富で尊敬できる人ばかりだった。授業外での勉強会では、互いのため時に厳しい指摘もし合った。そんな関わりほど貴重なものはない。
試験が近づくと不安がいつもついて回った。そういう邪念を振り切るため、毎日ひたすら勉強した。それが合格に直接結びつくわけではない。だが、その努力が自信となった。
本音を言えば、なぜ自分が記者になりたいのか、今でも明確な答えは分からない。だがなぜ記者になるべきか、分かった気がする。それを教えてくれたのが、マスコミ・スタディ・フォーラムだった。

■NHK記者職内定・Mさん(東京教室生)2011/12/22掲載
「真のマスコミ人を育てたい」。
記者の仕事を目指していたものの、毎日モヤモヤとした気持ちを持ちながら過ごしていたある日、インターネットで”発見”したのがMSFのホームページでした。冒頭の山田先生のメッセージを読み取るにあたり、先生ご自身は大変に厳しく、受講生の方々もジャーナリズムを熱く語る塾なんだろうなと身構えていました。しかし入会に関して問い合わせをしたメール山田先生のお返事から、山田先生の謙虚で誠実な人柄に引かれ、入塾を決めました。
講座ではもちろん試験に受かる訓練をします。エントリーシートや論作文の基本的な考え方に加え、面接やニュースの懇談などで自身の考えを磨いていきます。私は何度も何度も、作文試験の度に自分の書く文章に愕然とし、表現力や社会と自分との隔たりに落胆することもありました。そのどれもが自分自身と真剣に向き合い、謙虚に実直に作成・執筆をしなければ、自分はもちろん「相手」が納得する答えは得られません。相手というのは受験する会社の面接官であり、ひいてはそこから発信される記事・ニュース・情報を受け取る読者や視聴者のことです。受験の最中に身をもって感じたこと、それは『先生の目指す「読者・視聴者のために仕事をする」ことを幹にした考え方は、受験する会社が求める人物像とあてはまる』、ということです。
受験生はみなそれぞれの経験や考えを持っていますが、それが記者・マスコミの仕事をする上で読者・視聴者にどう役立つのか。ひと言にすると、つまらない印象を持たれるかもしれませんが「社会に対する誠実な姿勢」を見ているのです。MSFで最もためになったのは、ニュースに対する考え方の幹を自然とここに置く事ができたことだと振り返って痛感しています。
とはいえ、私の試験も順調ではありませんでした。春試験では内定がいただけず、秋試験に向けメーン講座のほかカフェ形式の研究ゼミや面接プライベートレッスン、面接や論作文試験の直前に連日受講しました。記事やニュースに対する自分なりに考え、それがずれていないか、正しいのかどうかを、面接練習だけではなく、カフェ方式の受講の場で確かめる。こうした場での先生や他の受講生の方の考えを聞くことで苦手な分野のニュースの読み方も培うことができていきました。受講生の方とは自主ゼミや講座のあとにもエントリーシートや論作文について指摘をしたり、意見交換をしました。当初自分の作文を見せることは恥ずかしい、そういう思いもありましたが、日が経つにつれて平気になりました。きっと心から信頼できたのだと思います。また、自分の人生の中で記者を目指すことがどういうことなのか、共感したり、勉強になることも多々ありました。
山田先生は厳しくも温かい指導を下さいます。最後に気付くのは自分、やるかどうか決めるのも自分、決断のためのヒントを下さいます。ですがそこには私たち受講生が前に進んでほしいという情熱、応援してくださる気持ちはひしひしと感じていました。ニュースの読み方、作文の書き方などを指導してくださいますが、その上で私自身が試験準備は苦しく大変だなと思うとき、試験が上手くいかずに落ち込んでいるときいかに私が記者になりたいのかを掘り起こして再確認させて下さいました。先生からいだだいた熱く、かつ温かいメールに感動して涙が浮かぶこともありました。それが私のやる気になりました。
受講時の生活、仕事と試験準備を並行するのは、文字通り寝る間も惜しんで取り組みました。朝は以前よりも早く家を出て新聞を読んでノートに考えをまとめ、漢字練習をし、仕事の空き時間には面接練習で不十分だと思いメモしたことを復習。終業後や休日は有料自習室などを利用し、論作文の精巧やエントリーシートの執筆に充てました。時間的な余裕がなく試験の準備が進まず体力的にも精神的にもきつかったと実感していますが、「このままでいいや」とは決して思えませんでした。自分の人生を変えるため、視聴者に貢献するという思いを実現するためにはそれだけの労力が必要なのだと言い聞かせました。
マスコミを目指す人の中には仕事をしながら準備をする社会人の方も多くいらっしゃると思います。目指す中では今の環境から孤独を感じるときもありますし、努力を続けるのは想像もできないほど重労働です。でもこれからの仕事に比べればまだまだです。
MSFには理解して目指す仲間がいます。一緒に悩み、前を向こうという仲間の存在は、温かく、とても心強く感じられます。闘う相手は同じ日に試験を受ける他の受験生でも、面接官でもありません。目標に対して本気をぶつけ続けられるか、昨日の自分よりも前に進んでいるか、自分自身との闘いです。
その支えとなってくださったのが山田先生であり、ともに学んだMSFの受講生・仲間です。こんなにもジャーナリズムに熱く、自分の思いに真剣に、正直に取り組める場所はほかにありません。自分がこれから記者として仕事をする上での力・勇気になると確信しています。一人だけでは決して成しえなかった内定。まだ私もスタートラインに立っただけです。自分がニュースを伝えることで社会をより良くしたい。その思いを忘れることなく、仕事に取り組んでいきます。そして、山田先生をはじめ事務局の方、受講生・仲間などMSFで出会ったすべての方に感謝をし、真剣に仕事に向き合うことで恩返しをしようと思います。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。

■NHK記者内定 Oさん(東京教室生、通信生)2009/8/28追加掲載
「予備校でテクニックを習得した受験生ほど面白くない者はない」という。どこかのサイトに書いてあった。マスコミ受験本を出す出版社のサイトでは「受験技術習得でない」というマスコミ就職のための講座が宣伝されている。この
出版社の副業なのだろうが、何と言おうともここも受かるためだけの講座には違いあるまい。また、あるサイトでは、予備校に通いマスコミに内定したという者が「予備校には行かなくても良い」と書く(おいおい、受かった途端、予備校評論家になるのが流儀というのか)。すべてマスコミ予備校批判だ。私はそれを読み、これほどまでに言われる、恐れられているその予備校なるものに俄然興味をもった。調べてみるとマスコミ予備校はいくつかあった。
正直言って、どこでも代わり映えしないように見えた。ともかく受かるのだそうだ。うそ臭いが、どこのサイトにも書いてある。しかし、このマスコミ・スタディ・フォーラムはかなり違った。まず、内定者を必要以上に拝み祭るような記述がない。たしかに受かった途端に「神様」になるわけはない。私も受かって理解できるが、受かる受からないのレベルは紙一重だ。
MSFは「単に受かる人よりも、真のマスコミ人を育てたい」という。なんだろう、これは。興味をもって、私がいま書いているこの体験記を一日かけて全て読んだ。ものすごい量だ。一日かかったけれど、全て読んだ。何度も読み返した文章もある。正直、単純に感動した。
受講の動機は人それぞれだろう。自分に何が必要なのかを考えて欲しい。私がMSFに通ってわかったのは、冒頭のような批判はMSFには全く当てはまらなかった。どこの予備校の話なのかと思う。予備校もそれぞれなのだ。
この体験記で語られる山田先生だが、髭でもはやした初老の人物といったイメージか。それは違った。先生はまだお若い。実は会うまで怖かった。この体験記を読み、怖くて怖くて仕方がなかった。すべてを見通すような冷徹なジャーナリスト。そんなイメージをもったからだ。
しかし、短い受講期間だったが、思い出すのは、難しいジャーナリズムの話を真摯に、時に笑いながらわかりやすく語ってくれるいつもニコニコした先生の顔でしかない。そして、受講生の笑い声だ。
マスコミ予備校に行かない者は、テクニックを学ぶ予備校生を恐れるだろう。
しかし、真に恐れるべきは、このMSFの受講生だと気づくべきなのかもしれない。いや、気づくべきだ。

■NHKアナウンサー内定・Aさん(札幌教室生)2001/5/24掲載
最初は、皆が同じだ。「就職は?」と聞かれ、漠然と「マスコミかな」と答える。ちょっと人よりニュースを見て、新聞を読む。時事問題には多少自信がある。大学三年の秋、私もそんな大学生の一人だった。それがこの塾に入り変わった。中途半端な気持ちと知識のレベルの低さに気付かされた。何より「マスコミ」という言葉の響きに憧れていただけの自分が恥ずかしくなった。なぜ目指すのか、これを真剣に考え、悩み、そのために努力する。シンプルだが、全てはここにあったのだ。自分一人では、こう思っても何をすれば良いのかわからなかったと思う。途中で辞めていたかもしれない。でもこの塾には同じように苦しむ仲間がいた。何より、最高の先生がいた。未熟な作文の添削、模擬面接、時事対策、熱意ある指導は自分も本気で努力して応えなくてはいけない、そう思わせる内容だった。悩みを相談すると先生は自分のことのように真剣に考えてくれる。そんな人柄に常に見守ってくれているような安心感を感じたのは私だけではないはずだ。人との出会いが人生を変えるという。先生の指導がなければ今の自分はなかったと思う。今、私はこの言葉を噛み締めている。

■NHK・アナウンススタッフ内定 Sさん(札幌教室生)2003/3/4追加掲載
「結局、みんな途中で諦めてしまうからなれないんじゃないか」。
どうしてもアナウンサーになりたいと言っていた私に、山田先生はそうはっきりと言われた。その頃、私は受験したテレビ局のほぼ全てが一次面接落ちで何の手応えもなく、結局向かない仕事なのだと自分を納得させるよりほかなかった。
先生の言葉がずっと心から離れず、しかし私はその後あっさりとテレビ局の受験をやめ、一般企業への就職を決めた。小さい頃からの夢をこんなに簡単に諦めてもよいのだろうかと思いながらも。そんな迷いを抱きつつも、努力することを結局、途中でやめてしまった自分が情けなく、しばらく先生に連絡すらできずにいた。
それにも関わらず先生は私がMSFを卒業して数ヶ月後のある日、ある会社の試験情報を教えて下さった。
「まだアナウンサーを目指す気持ちがあるなら挑戦したらどうか。まだ可能性はあるのだから」と。それは私にとって本当にありがたい貴重なアドバイスであり、それを機にもう一度アナウンサーを目指したいという気持ちが強くなった。
この度NHKのアナウンススタッフを受験するにあたり、私は半年程前にいただいていた他社の内定を白紙に戻してから受けにいった。内定をもったまま受けに行っては「絶対にここで働きたい」という本気が伝わらないと思ったからだ。
私が半年間学んだMSFで教えられた最も大切なことは「自分の心底から出てくる力のこもった言葉でなければ他人には何も伝わらない」ということだ。MSFの授業では志望書、作文、面接指導などを時間をかけてしていただいた。その過程の中で私は自分の知識や経験から生まれる「自分自身の言葉」をわずかしか持っていないため、次第に表面的な言葉を羅列することしかできなくなった。そのような自信のない私の言葉には「どういう意味?その理由は?」と先生からはもちろん、一緒に勉強してきたクラスメートからも鋭く突っ込まれ頭を抱えるばかりだった。
本当に思いが込められた言葉、それこそが、人の胸に伝わる。MSFで学んだこのことはこれから私がアナウンサーを目指し、多くの言葉を伝えていく上でもとても大切なことであると思う。今回、有り難くアナウンススタッフを務めるチャンスをいただいたが、これをステップにMSFで教えられた一つ一つのことを忘れず、「アナウンサー」を目指して頑張っていきたいと思う。「頑張れ。諦めるな!」と背中を押して下さった先生と、一緒に勉強してきた友達に心から感謝しています。ありがとうございました。これからも宜しくお願いします。

■NHKディレクター職内定・Kさん(東京教室生)2011/6/30掲載
「おそらく、人生一度の就職活動。やるからには後悔しないくらいまで努力をして臨みたい」。そう思ってMSFに飛び込んだ。と、かっこ良く書いてみたものの、私が決意を固めたのは大学3年生の10月だった。それまで、マスコミ受験の準備など全くしておらず、正直自信はなかった。
しかし、今、MSFで過ごした半年を振り返ると、本当に充実した時間が流れていたと思う。
毎週、講座が楽しみだった。特に「懇談」の時間は自分が成長できた時間だ。先生をはじめ、しっかりと準備をして話をする先輩方から新たな視点をもらった。次第に、自分も「懇談」の準備にかける時間が増え、主体的に考えながら記事を読むようになった。
また、作文試験がある日はそれに向けて原稿を練った。面接練習がある日は、エントリーシートを何度も書き直して臨んだ。毎回、講座の内容に対して、自分がどれだけ主体的に考え、準備できるのかが問われていた気がする。こんな日々のサイクルが少しずつ自分を作っていったのだと思う。とはいえ、マスコミ業界は狭き門。少し弱気になったこともあった。
そんな時、先生は「あなたなら受かります」と強気な言葉をかけてくれた。また、MSFの仲間は、講座後に残って私に足りないところを本気で考えてくれた。
同じ目標を持った仲間と、それを支えてくれる熱い先生がいるこの場所は、私にとって本当に貴重な場所になった。MSFと出会えて良かったと心から思っている。
幸いにも、来年からマスコミ業界で働けることになった。ただ、MSFの理念が「真のマスコミ人を育てる」ことだということを肝に銘じておきたい。
「取材というのは君自身を映すものだよ」。マスコミ業界で働く先輩から言われたことがある。ならば、これからの取材にはきっとどこかで自分という人間を作ったMSFの体験が活かされるものだと思う。
ここで過ごした熱い時間を忘れず、いつまでも高い志と情熱を持った、ちょっと青臭いジャーナリストになりたいと思う。

■読売新聞社 記者職ほか内定 Wさん(東京教室生)2018/03/20掲載
思わず小さなガッツポーズをした。内定の電話を受け取ったときではない。最終面接の部屋を出たときだ。これで落ちても後悔はない。そう思えるほど、半年前から成長した自分をまっすぐに表現できたことが嬉しかった。
「社会人の方のご利用も多いクラスです」いくつかのマスコミ塾のホームページを見る中で、MSFのページに書いてあったこの言葉に目が留まった。私は当時、一般企業に勤めながらも、ジャーナリストへの憧れを捨てきれず、転職を志していた。しかし、新卒のときと違い、周りに同志がいない。そんな孤独感の中で「ここなら同志が見つかるかも」と思ったのが、受講を決めた理由だった。
講座の前半は、漢字や論作文、面接練習などが並ぶ。なるほど、ここで洗練していったものをそのまま試験で出せば、受かることができるかもしれない。一方、講座の後半は、新聞を読んで時事問題について懇談をしたり、先生がジャーナリズムについて熱く語ってくださったりする。ニュースに関する価値観をぶつけ合うのは楽しいし、先生の話も興味深いのだが、当初は「これがどう受かることにつながるのだろう」というのが率直な感想だった。
お察しの通り、後にこの疑問は払拭される。受講の回数を重ねていくにつれ「自分は本当にジャーナリストになる覚悟ができているのだろうか」と感じるようになっていった。懇談での自分の発言のレベルが、他の受講生より稚拙だったからだ。この人たちは同志であると同時に、ライバルでもある。ライバルと比較して、社会と真摯に向き合えていない自分は、記者を目指す人間として不適格なのではないか。そんな思いに駆られた。
また、先生が語ってくださるジャーナリズムの世界が、自分の想像を超えることばかりだったことも、私を猛省させた。壮絶な取材、記者の心理、社会を大きく動かすかもしれない責任。困っている人を救いたいという、ざっくりした思いから記者を志したが、その思いを実現するまでの困難な道のりに向き合う覚悟もなく、そんな世界で活躍する姿が全く想像できないほど未熟な自分に気づかされた。
そもそもジャーナリズムに向き合う姿勢を変えなければいけない。胸を張って記者を目指していると言える人間になりたい。そんな風に思うようになった。先生や同志がそう思わせてくれたのだ。
それからは、講座の中で自身のジャーナリズムに対する考えの甘さに気づいたら、まずは自分が納得するまで考え、先生や現役の記者の方に考えをぶつけ、また考えた。社会に向き合う姿勢が足りていないと感じたら、身の回りの社会問題に向き合い、更に自分から社会問題の当事者の元へ足を運んだ。人としての至らなさを感じたら、普段の生活から意識し、改善の努力をした。
その経験や考えを、講座の中で、ES、論作文、面接、懇談に落とし込む。すると、一回一回、少し前の自分より成長している自分がいる。少しずつではあるが「人として」成長できている実感があった。そのおかげか、MSFで真摯にジャーナリズムに向き合う時間がより一層好きになった。その好循環の中で、元来自分に自信のない私が、だんだんと自信を持てるようになっていった。
ただ、その結果としてすべての選考が上手くいくなんていう夢みたいなことは起きなかった。それでも、落ちるたびに反省し、また自分と向き合うという姿勢がMSFでできていたおかげで、選考を経るごとに、また少しずつ成長している実感があった。
迎えた内定先の最終面接前。鼓動は寝る前のように落ち着いていた。不思議なほど不安がない。それはまぎれもなく、MSFで過ごした時間がくれた自信のおかげだった。面接中に抱いた感情も、自分を表現することの楽しさだけだった。「会心の一撃!」のん気にそんな言葉を思い浮かべながら、面接室を後にしたのを覚えている。
今なら、MSFの「受かる人」ではなく「真のマスコミ人」を育てたいという方針の意味が分かる気がする。もしただの「受かる人」になっていたら、その先の記者人生の中で、迷ったり、つまずいた時に、立ち返るべき初心を持てていなかったと思う。「なぜ記者になったのか」と、自問自答することになっていたと思う。
私はまだ「真のマスコミ人」などでは全くない。ただ、そこに向けた一歩目を、MSFで踏み出せたのだと思っている。この先、目の前には常に大きな壁が立ちはだかり続けるはずだ。その度にもがき続けるはずだ。記者はきっとそういう仕事だ。そんな時に、自分を鼓舞してくれるのは、ここで培った「記者になりたい確かな理由と覚悟」なのではないかと思う。これから壁にぶつかるたびに、この理由と覚悟を思い出すだろう。その繰り返しが「真のマスコミ人」に、また一歩一歩近づいていく方法であると信じている。
最後に、こんなに大切な価値観を抱ける環境をくださった山田先生、上村さん、受講生の皆様、本当にありがとうございました。恐らく、皆さまへの恩返しの形は、直接的な価値の提供ではなく、立派なジャーナリストとなり、世の中に貢献するという方法がベストなのではないかと思っております。この気持ちを忘れず、記者人生を歩んでいきたいと思います。

■読売新聞社記者内定 Sさん(東京教室生)2005/9/27追加掲載
「MSFというマスコミ塾で半年間、真のマスコミ人になるための教育を受けてきました」。
多くの面接官が、受かるための面接対策や受験テクニックを教えるマスコミ塾や予備校といった存在を毛嫌いしていると思う。だから新聞社を受ける際に必ずと言っていいほど問われる「受験に際して、どんな対策をしてきたか」という質問に、「マスコミ塾での勉強」と答えるのは、得策ではないのかもしれない。しかし、私はこれらの質問に対して胸を張って冒頭のように答えた。
MSFで学んだことに対して、私はちっともやましさを持っていなかったし、自信を持っていた。それは全く付け焼刃のものでなかったし、小手先の受験テクニックでもなかった。そもそも「受かるための勉強」ではなかったからだ。
今、MSFでの日々を振り返ってみて印象深い授業がある。その日は、私のエントリーシートを基にした「面接クリニック」の日だった。私は準備してきた資料を他の受講生に渡した後、最後に先生に手渡した。大した意味はない。単純に自分の席から近い順に配っていっただけだ。しかし、私はその時、先生から一言叱られた。思わず赤面してしまったが、こういった類の指導をしてくれるマスコミ塾があるだろうか、と思った。
私は、先生に「社会に出るというのはどういうことなのか」を教わった気がする。そして、究極的に言えば、私にとって、MSFでの授業は「なぜ、記者でなければいけないのか」を徹底して問い続けたものであった。その答えは、正直に言えば、まだ明確なものではない。私が記者として生きていく上でずっと問い続けなければいけないものであるとも思っている。これから、記者を目指す方々にも、ぜひともこの問いに対してじっくり頭がよじれるほど考えてほしい。焦る必要はない。一つ一つの選考結果に一喜一憂することなく、真のマスコミ人に一歩でも近づいていってほしい。

■読売新聞社 記者職内定 Mさん(東京教室生)2013/06/10掲載
昨年の10月から約7ヵ月の間、MSFでお世話になった。最初はマスコミに対する知識はほとんどなく、特に作文には苦手意識があった。11月、12月に書いた作文では1,000字中、400字くらいしか書くことができなかった。どのように考えるか、そしてどのように書くのかが全く分からなかった。
しかし、講座の中で先生や受講生の意見をいただき、他の人が書いた答案を参考にすることで作文の考え方、書き方が分かり、苦手意識はなくなっていた。共に内定を目指して頑張る仲間の意見や作文は非常に参考になった。
MSFの授業は楽しかった。授業は懇談・作文試験・面接クリニック等、自分が主体的に取り組むものが多いのが特徴だ。自分が書いた作文や面接に対して先生や受講生が意見をくれる。自分も意見をもらっているのだから何か意見を言おうと積極的に発言した。採点者・面接官の立場に立てるのは非常に有意義だった。授業は真剣で緊張感があるが、先生のシュールな冗談により度々笑いもおこる。真剣に取り組むのは当然だが、やはり楽しいことも重要だ。MSFは記者を目指すのに本当に良い環境だ。
そして、山田先生のお話は私にとって貴重なものだった。試験までの日程は長い。緊張感の続かない私は次第にダラダラしてしまう性格だが、ジャーナリストの意義や記者の仕事に関する先生の熱いお話を聞く度に記者になりたいという気持ちが改めて強くなり、モチベーションが上がった。頑張ることができた一番の原動力だ。
私はMSFに行ってなかったら読売から内定をもらうことはできなかっただろう。MSFで学ぶことができて本当によかった。ここで学んだことを大事にしていきたい。熱心にご指導くださった山田先生、丁寧に対応してくれた上村さん、共に頑張った受講生の皆さん、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします!

■読売新聞社 記者職ほか内定 Bさん(東京教室生)2012/10/26掲載
MSFに通い始めて2年。この塾を選んで良かったと心から思う。
大学時代、地元名古屋のマスコミ塾に通って新聞記者を目指したが、結果は2次面接まで。最終的に就職先に選んだのは、地元テレビ局の関連会社だった。情報番組のADやディレクターも担当したが、未練が残ったまま仕事に臨む日々が続いた。「この状況を変えたい」。そんな思いで探して見つけたのがMSFだった。当初は通信生として受講していたが、次第にもっと学びたいと考えるようになり、どんなに忙しくても地元名古屋から通うようになった。
大学生はもちろん、既卒のフリーターや社会人・・。さまざまな受講生の質の高さに圧倒された。ニュース感覚に乏しく「懇談」の時間で満足に話すことができない。基本的なマナーについて、先生には何度かご指摘を受けた。ただ、こんな私でも通い続けることで、少し成長できたような気がする。
3年間働いた後に会社を辞めて受験したが、春採用は全滅。さすがに危機感を抱き、秋採用に向けて開講された講座はほとんど受けた。特に新聞を使った研究ゼミナールは、面接で時事問題を語る上で大いに役立ったと思う。講座で先生と話すことに慣れていれば、面接も怖くない。
地方の中堅私大卒で、仕事で大した実績もない私が、読売新聞社と共同通信社の2社から内定をいただいた。今も信じられないときがあるが、この結果は先生や受講生の協力なしにはあり得ないものだ。出来が良いとはいえない私を厳しくも温かい目で見守ってくださった。仲間に恵まれたからこそ、「なんとか期待にこたえたい」と授業についていくことができた。その成果が内定にも結びついたと感じる。
MSFに通うまで、心の中では記者になるのは無理だと思っていた。だが過去を嘆いても、何も変わらない。前を向いて諦めずに頑張れば、必ず良い結果は出る。成長するきっかけをくださった皆様に感謝し、次こそはマスコミの世界で自分の全力を尽くしたい。

■読売新聞社記者内定 Nさん(東京教室生)2009/12/1追加掲載
「内定をとるだけではない、真のマスコミ人を育てる」。このMSFの理念に今、深く共感する。春採用に失敗しマスコミ受験の塾を探していた私は、MSFの入学と前後して「内定がとれる面接講座」とうたったあるマスコミ塾の講座に参加したことがある。どの場所であれば最も効果的に勉強できるのか比べたかったからだ(先生、今まで黙っていてごめんなさい)。
正直に書くと、当初私はMSFよりもこのマスコミ塾の授業に期待していた。秋に向け気が焦っていた私にとって、分かりやすく「内定がとれる」とうたっているマスコミ塾の方が効果的に思えたからだ。しかし、その予想は大きく裏切られることになる。
授業の充実度や、受講生の熱気、何より先生のお人柄や考え方、全てにおいてMSFが格段に上質だったのだ。ワインで例えるならロマネコンティとコンビニのワイン位の差はあった(と私は思う)。
私が参加したマスコミ塾の授業では、受講生は平気で一時間以上遅刻し、延々と続く先生の過去の栄光話の横で携帯電話を打っている。MSFではあり得ない光景だ。MSFでは社会性の欠如した行為を先生は時に厳しく、時たま優しく注意して下さる。
内定をとる以前に社会に出ていくために最も必要な常識を身に付けることができるのはMSFであり、その方針は一瞬は遠回りに感じるかもしれないが、そのステップをとび超えては決して社会人への切符=内定をとることはできないと思う。
学生気分の甘えた考えが抜け切らない私は幾度となくMSFで恥ずかしい思いをした。しかし、今こうして念願の記者職で内定をいただけたのは、MSFで沢山恥ずかしい思いをして多くのことを学ばせていただいたからだと思う。いつも励まし支えてくれた教室のメンバー、事務局スタッフの方、そして山田先生のお力に感謝し、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

■読売新聞社内定 Wさん(東京教室生)2007/6/28追加掲載
大学院一年の夏、「自分の専門を通じて社会の役に立ちたい―」そんな強い気持ちだけが頭を支配していた。しかし、何をどうすれば良いのかわからない。私の通う大学は、就職には縁がないような所である。インターネットで一生懸命、予備校や塾をさがした。そこで私はMSFに出会う。大手予備校も考えたが、ホームページの文面を見て、MSFでなら本気の勉強が必ずできる、と信じた。この直感は的中する。約半年後に、マスコミの予備知識も縁も全くなかった私を、読売新聞社内定まで導いてくれたのである。
初めての懇談で、しどろもどろでまとまりのない私の発言を、先生はうなずきながら一言一言真剣に聞いて下さった。そのことがとても嬉しかった。とにかく苦手だった私が一歩踏み出せたのは、まぎれもなく先生のおかげである。回を重ねても的外れな発言してしまう私を的確に指摘して下さる先生。恥ずかしくて消えてしまいたいことは幾度もあった。しかし、厳しく率直に言ってもらえるのは、今しかない貴重なチャンス―そう思うようになってから、ドキドキしながらも、週に一回が待ち遠しくなっていった。
内定が決まってからも正直、できることならまだここで勉強し続けたい気持ちでいっぱいである。MSFとは、そのような所だ。単に受験のテクニックを身につけるための塾ではない。社会に出るにあたって持つべき心構え、礼儀などといったことも同時に磨かれる(これまた私は、至らない行動でたくさん恥を掻き、それによってたくさん学ぶことができた)。もちろん、記者経験者である先生の講義は簡潔明快で、豊富な体験談、情報は非常に面白くためになり、三時間一度も飽きるなんてことは無かった。総合的に考えても、MSFは真の
マスコミ人になるための、最も近道ではないかと改めて思う。結局、マスコミ受験で重要な面接において大事なのも、人間的な「幅」であると思うからだ。
もし、真の深い学びを経た上で確実な内定を目指したいと思うならば、私は自信を持ってMSFをおすすめしたい。
最後に、手厚く御指導下さった山田先生、事務局で支えて下さった皆様、励まし合って共に学んだ仲間、全ての人に改めて感謝をしたい。本当にありがとうございました。

■日本経済新聞社 記者職内定 Kさん(東京教室生)2018/07/05掲載
「やっぱり記者になりたい」。時間が経つほど、その思いは大きくなっていった。毎日、新聞やニュースを見るたびに自分を苦しめるようになっていた。私は新卒の時には記者になることが出来なかった。大学卒業後には営業職として社会で三年間働いてきたが、記者への情熱は消えなかった。そしてMSFの門を叩くことになったのだ。だがそこまでの道のりも楽なものではなかった。
MSFの前に他のマスコミ塾にも問い合わせをしていたが、講師から断りを入れられた。年齢や大学での専攻を見て、記者になることが難しいと言う。また、転職エージェントで求人を探したが私の経歴では紹介できることがないと回答された。「私は記者になる見込みがありますか」。藁にもすがる思いで、山田先生に初めて連絡をしたことが忘れられない。そしてその答えに思わず涙が出そうになった。「それはあなた次第です」。
それから、MSFで十ヶ月、無我夢中で努力をした。作文は好きだったが、面接や時事問題は苦手で苦労した。一緒に授業を受ける仲間にも支えられ、続けることができた。新卒で就職活動をしていた時には、よく大学の先輩の記者の方にアドバイスをもらってよく理解もしていないことを面接官に話していたと思う。MSFに入ってからは、記者をして働くこと、何を大切にして働いていくかを深く考えられた。その経験が功を奏し、面接でしっかりと自分の言葉で話ができたと思っている。そして内定をいただくことができた。
山田先生から学んだ一番大きなこと、それは、「人生の選択肢を誰かの手に委ねてはいけない」ということだ。全ては「自分次第」でどうにでも変えられると学べたことは、大きな財産になった。山田先生、上村様、一緒に受講した皆様、本当にありがとうございました。

■毎日新聞社 記者内定・Hさん(東京教室生) 2015/1/13追加掲載
「記者になって会うことになる人が、今どこかで暮らしているのです。場合によっては生命を救うこともあるかもしれません。そうしたことを考えると、一日も早く、です」。山田先生は、春の採用試験で失敗して、すがるような思いでMSFに入った私に、こんなメールを送ってくれた。面接に落ちる度に、何度も何度も読み返し、自分を奮い立たせた。
私は、中学も、高校も、大学も、第一志望には行けなかった。「私なんかどうせ無理だ」。心のどこかで限界を作り、目標を諦めて、努力することから逃げてきた。ただ、中学生の頃から抱いていた「新聞記者になる」という目標だけは、絶対に諦めるわけにはいかなかった。記者になって伝えたいこと、届けたい声があるから、どうしても私が記者にならなければいけなかった。
最初のMSFの授業は、緊張感に溢れていて、手に汗を握っていたことを覚えている。記事に対する意見を言う「懇談」や、ESや論作文を批評し合う時間は、多様な考え方に触れることができて、それまで一人で学んでいた私には全てが新鮮だった。相手に自分の主張をわかりやすく伝えることは、面接の練習にもなった。
マスコミへの就職は、倍率も高く厳しいものかもしれない。運と縁もある。私自身、強運の持ち主だと思う。ただ、その運と縁を引き寄せられるかどうかは自分次第だ。何もしないでそんなものが舞い込んでくるはずがない。私はMSFに入ることを決めて、山田先生や仲間に出会えて、とても幸運だった。本当にありがとうございました。
四月から、私は記者になる。楽しみだけど少し怖い、今はそんな気持ちだ。これからは、努力することから絶対に逃げない。人への感謝と、情熱を忘れないジャーナリストになりたい。

■毎日新聞社  記者・Hさん(札幌教室生) 2001/5/25追加掲載
「君は現地に行きもしないで、ゼミ論文を書けるのか」。ちょうど2年前に受けたある新聞社の面接で、こんなことを言われた。私がある環境問題をテーマにゼミ論文を書いた、と答えたときだ。面接官は続ける。「私たちならまず現地へと考えるけどね」。単純な私は「社会見学をしなければ、新聞社に受からない」と考えた。それからは暇を見つけて実際にニュースの現場を訪れるようになった。
実際に現地へと足を運んでみると、確かに発見がある。初めは義務だったはずの社会見学が、私の趣味になっていた。
それでも採用試験はうまく行かなかった。そんなある日、大学の構内でMSFの地味なチラシを目にした。講師は元新聞記者の方だという。漠然と記者を目指していた私にとって、お世話になる価値はあるのではないか。そう思い、メーン講座を受講することにした。
記者になるためには、いくつかのハードルがある。私はその中でも、弱点と思われる面接の力を付けようと思った。それまでは、どこかの就職講座で聞いたような「鏡に向かってウイスキーと言おう」といった「面接作法」を学ぶことが全てだと思っていた。そんな私にとってMSFの講義は驚きの連続だった。
まず私は、記者の仕事をよく理解していなかった。記者志望なのに、机上で理屈をこね回していた私、面接官はにがにがしく思っていただろう。就職試験は「社会人」になるための試験なのだから、入学試験で学力が試されるのと同じように問われているのは「社会性」なのだと思う。それに気付くのに長い間かかった。MSFは、そのようなことを学ぶ場だった。
「美しいものを見たら、きれい。人から親切を受けたら、ありがとう。そんな普通の感覚が、マスコミ人には求められている」。
とりたてて誇れるものがなかった私には、山田先生のこの言葉が随分と励みになった。自分を謙虚に振り返ることができたら、あとは努力するしかない。もちろん私も努力を続け、悔いのない人生を歩みたいと思う。

■毎日新聞社記者内定 Tさん(東京教室生)2005/6/8追加掲載
有名大学の出身ではなく、抜きんでた能力があったわけでもない私。
学生時代、新聞記者になりたいという夢は叶わず、一般企業に就職した。入社後一年が経過したものの、胸の内にあった思いは捨てきれずにいた。
そんな時、たまたまインターネットでMSFを知った。真剣に努力すれば誰にでもチャンスがあるという案内文と、それを十分証明する実績の高さに惹かれ入会を決めた。だが、確固たる自信があったわけではない。それまで新聞社の入社試験は、筆記試験や一次面接ですべて不合格になっていた。既卒の受験生は時間の経過とともに合格のためのハードルが高くなるだろうという焦りもあった。
それまでの間、他のあるマスコミ就職塾に相談したりもしたが、にべもない返事をされて不安になったこともあった。
「僕、夢を見てるだけなんですかね」。
ある日、MSFのメーン講座終了後、帰り際にふと山田先生に聞いたことがあった。
「いいんだよ。夢を見ても」。
先生の励ましの言葉は私の胸に響いた。私の将来を信じて応援してくださることが嬉しかった。まだ可能性があるなら、とことん頑張ってみようと思った。講座では、面接、論作文練習や業界研究、懇談など講義の密度の濃さに圧倒された。自分の志望書や作文で至らない部分を鋭く指摘され、うまく解決できずに頭を抱えることが何度もあった。
だが、それらを一つ一つ逃げずにクリアすることで自信につながった。また、山田先生の取材経験に基づくお話や、提供してくださる資料は、面白いだけでなく、憧れでしかなかった記者の仕事が身近に感じられる刺激に満ちていた。それにより、自分の目指す記者像や、伝える側の視点を意識する上でも大変役立ったと思う。さらに、同じく報道への志を持つ受講仲間と出会い、続けた勉強会も有意義だった。
最初は、条件的に不利な面ばかりを見て無理なんじゃないか、と弱気になることも多かった。夢が夢で終わってしまうことを何度も想像した。だが、講座で勉強を続けるうちに、絶対に乗り越えてみせるんだという明確な気持ちと目標が芽生え、それが内定への原動力になった。勝因を挙げるとすれば、自分を信じて諦めず、食らいつく姿勢を忘れなかったことだ。
決してスムーズにここまでたどりついたわけではないので、私は偉そうなことも言えない。しかし、自分の経験からこれだけは言える。粘り強く、真剣に学び、考えながら準備を進めれば、きっとチャンスはあるということ。参考にしていただけると幸いに思う。

■毎日新聞社 営業管理 内定 Sさん(東京教室生)2008/6/29追加掲載
昨年の秋採用に落ちたとき、このまま就職活動をし続けるべきかどうか正直迷いました。自分のために努力するより、別の形でも社会に貢献することはできるはずだと考えたからです。私は焦っていました。MSFの門を叩いたのは07年の1月のことです。マスコミで働くことは中学生の頃からの夢であり、企画や制作の仕事がしたいと考えていました。3月には2年間勤めていた会社を退職しましたが、春の採用試験では受かることができず、新聞社でアルバイトをしながらMSFに通いました。しかしアルバイトという立場は、それまで一切の責任を担って働いてきた私にとって、思うように仕事ができない苦しい環境でした。このままでは生産性がなさすぎる、もっと仕事がしたい。会社を辞めるまでして諦められなかった夢を、私はまた手放そうとしていました。そんなときでした。
「諦めたら一生後悔する」。きっと先生にとっては、何気ない一言だったのでしょう。しかし、私をもう一度頑張る気にさせるには十分すぎるものでした。先生がおっしゃるからこそ重みがあり、説得力がありました。以来、その言葉が、ずっと心の支えとなりました。次の試験でだめだったら、きっぱり諦めよう。その分、今度こそ本気で取り組む。これで私の腹は決まりました。そしてまさに背水の陣で臨んだ今春の採用試験、私は内定をいただくことができたのです。
山田先生にご指導いただいた1年4ヶ月は、ひたすら自分自身と向き合った日々でした。放送局でディレクターとして働くことが第一志望でしたが、どうしてなりたいのか、どんな仕事がしたいのかという根本的な部分がとても曖昧でした。模擬面接のときも、ありきたりな返答しかできない自分をもどかしく感じていました。先生や、受講生に忌憚のないご意見をいただきながら何度もエントリーシートを書き直し、面接も繰り返し行っていただきました。そして最終的には、どんなコンセプトでどんな内容の番組か、視聴者の年齢層や放送時
間帯まで具体的にすることができました。
先生の授業は直接回答を教えるのではなく、あくまでも答えを導き出すためのヒントを与えてくださるというものです。その形式が私にはとても合っていたのだと思います。決して楽ではありませんでしたが、自分で考え、調べて導き出した分だけ説得力も増します。エントリーシートが完成に近づくと同時に自分の夢も具体的になっていくことが嬉しくもありました。
論作文指導も、私にとって非常に有効でした。元々文章を書くことにはそれほど抵抗がなく、むしろ得意だとさえ思っていました。しかし、初めて書いた作文の検討をしていただいたとき、文章を書くのが得意だということと、筆記試験における論作文での「上手さ」は別だということに気づかされました。「論作文も自己PRの場である」ということは、以来私の課題となりました。
MSFの講座の中で培ったことは数え切れません。しかし、何よりも私を支えてくれたのは、山田先生やMSFの存在そのものであり、一緒に学んだ受講生のみなさんであったと思っています。試験に失敗し、一人不安になったときも山田先生のもとで学んでいれば何とかなるという信頼、そして「あなたなら大丈夫だよ」と言ってくれる仲間の言葉が、私の力の源でした。多くの身近な人の助けがあったからこそ、ここまでこれたのだと感じます。
そして、内定をいただいた会社、つまり、私がアルバイトを始めた新聞社を知るきっかけとなったのもMSFでした。MSFに入らなければ、今の私はありません。まさか自分が新聞社で働くことになろうとは思ってもみませんでしたが、これも縁であり、私はここでやるべきことがあるのだと思います。
常に情報の最前線にいること、自分のアイデアを形にすること、そして、メディアを通して子どもの成長に携わること。それが私の働く上での指針です。これだけはいつまでも揺るがず、持ち続けていたいと思っています。
マスコミの世界にそれぞれ飛び出していったかつての仲間たちと、いつかまた今度は仕事の現場で会えると思うと、楽しみでなりません。

■産経新聞社記者内定 Tさん(東京教室生)2006/11/24追加掲載
たった4ヶ月の受講期間だった。7月の初め、MSFと山田先生に出会った時に滞っていたものが流れ始めた。春、ひとつも内定がなかった私は6月も終わろうというある日、「新聞記者になりたい」という出来事に遭遇する。
しかし、新聞社の入社試験用の勉強などしてこなかったし、知識もない。独学では無理だと、その日のうちに急いでインターネットを開いた。MSFに決めたのは直感だった。
初授業。「懇談」の時の先生の一言は最初にして最大の一撃だった。「面接、苦手でしょ。もっと周りの反応を見てしゃべったほうがいいですよ」。恥ずかしかった。自分の勉強不足を隠すために一気に早口でまくし立てていたのだ。他人にズバッと指摘されて初めて自分の癖に気づけた。最終面接まで、何度この先生の言葉を思い出したかしれない。
MSFは少人数制で、かなりが受講生の自主性に任せられる。だから、他の受講生に迷惑はかけられないという思いから、必死に勉強をした。自分のためだけではないからこそ、もう一段上の意欲が生まれるのだと思う。
面接を受ける中で先生とは日々、メールで連絡をとっていた。意気揚々と次の面接の決意を書き送り満足していた私に、先生から返信が来る。「なぜ記者になりたいかという点が全く説得されていません」。これには焦った。いつも接している先生に伝わらないのに、初対面の面接官に10分やそこらでわかってもらえるわけがない。
その後も、先生からは何度も厳しく「浅さ」を突っ込まれ、そのたびに少しでも納得してもらえるものをと、熟考してメールを送った。面接のためというより、今の、将来の自分と先生への挑戦だったように思う。この過程なくして、自分自身の「軸」は確立できなかった。
MSFの講義は、単に受かることが目的の授業ではないから、志高く先を見据えられたのも良かったのだろう。山田先生、MSFなくして、この内定はあり得なかった。4ヶ月の奇跡が、私を変え、今ついに新聞記者となった。良い記者になります。本当にありがとうございました。

■共同通信社 記者職内定 Sさん(東京教室生)2013/10/03掲載
MSFの門を叩いたのは約半年前、春の採用試験の結果を受けて失意のどん底に居た時のことだ。このまま幼い頃からの夢を諦める訳にはいかないという思いだった。問い合わせをした時に先生が私にかけてくださった言葉がある。「それだけの熱意があるのなら大丈夫ですよ。頑張ってください」といってくださったのだ。自分に対して真摯に向き合ってくれるということが感じられ、とても嬉しく、温かかった。以来、どんなに辛く、もう駄目だと投げ出しそうになった時もこの言葉を思い出した。
先生は厳しい。私の中にある浮ついた考えを直ぐに見抜かれる。時にはその厳しい指導に挫けそうになる。しかし、絶対に先生に食らいついていくと決めたのは自分だ。目標を叶えるまでMSFは絶対に休まないと決めていた。厳しい指導の後、逃げそうになる自分を必死に止めた。ただ授業に行く、それさえも逃げようとする自分が嫌になった。なんて自分は甘いのだと思えるようになったことは成長だ。それだけ自分は情けない人間だった。
内定の連絡を貰った時、嬉しいと同時に怖いと思った。半年前の自分だったら絶対に抱かない感情だったと思う。浮かれて遊び呆けただろう。いざ半年後に記者になった時、私はどれだけ「真のマスコミ人」になれるのだろうか。授業では先生の知識の多さ、見識の深さに感心させられることばかりだった。共に学ぶ仲間と机を並べて学んでも、私は劣等生だった。そんな私が記者になってジャーナリズムの使命を果たせるのか。怖いのだ。
根拠のない自信を胸に堂々と歩く過去の自分より、今の自分のほうが実は好きだ。まだまだ知らない事がある、学ばなければいけない。自分の愚かさと未熟さを知り、それに向き合ってくれる先生に出会えたことが私の最大の幸福だ。
これからが本番である。先生に受けた指導を忘れず、努力して行きたい。

■共同通信社記者内定 Fさん(東京教室生)2003/6/6追加掲載
一年目の就職活動に失敗した。記者への思いが断ち切れず、もう一度挑戦しようと決めかけた頃、ある放送局で最終選考の際に出会い、内定された方に相談した。本気でやり直したいのなら、とMSFを紹介された。これが山田先生のご指導をうけることとなるきっかけだった。
先生の授業は私自身に足りないものを探る上で格好の場だった。自分で現場を見て確かめて、はじめて物事を語れるようになることを教わった。また作文指導は、文章の表記から内容の整合性、論理性に及び、詳細を極めた。また、業界研究を通じ、これから新聞をつくる人が考えておくべきテーマを知った。
一年半にわたる就職活動。一時は真っ暗なトンネルの中を、出口もわからず歩き続けるようなものだった。物事を難しく考えてしまう癖がたたり、作文がほとんど書けなかった時期もある。恥ずかしいが、その頃家では半べそで原稿用紙に向かっていた。
実際に挫けたことは幾度もある。ただ諦めかけても諦め切れなかった。「どうしても記者だ。今ここでやめたらもうチャンスはこない」という思いがその都度あった。最後はやりたい仕事への執着心だけで乗り切ったと思う。
これから就職活動に臨まれる方、今まさにその過程にある方には特に「志は貫き通し、自分自身を磨いてください」と言いたい。マスコミ受験の倍率の高さなどはなんの問題でもなくなる。年月はかかっても、志を捨てず努力した人が内定しているからだ。
講座でともに学び、学習会を組んで志望書などの酷評し合った仲間、そして山田先生とのご縁がなければ、ここに体験記を寄せる私はいないと思う。本当にありがとうございました。そしてこれからが私にとって本当の勝負なので、どうぞ宜しくお願いします。

■時事通信社記者内定 Tさん(東京教室生)2005/8/28追加掲載
内定をいただくまでの約一年間、週末MSFの授業を受けることが習慣になっていた。今振り返ると毎回とにかく、がむしゃらだったと思う。作文が思うように書けず、朝まで頭を抱え、納得のいくエントリーシートが出来ず焦りが募った。
ここに載っているMSFの先輩の合格体験記を読んでも、勇気付けられるどころか、自分だけは記者になれないのではないかと思ったことも何度かあった。政治や経済など自信をもって他人と意見を戦わせるだけの知識もない自分は、記者には程遠い。仲間と懇談するたび、そんな不安を感じた。
そんな私を支えたのは、先生の言葉だ。「あなたなら絶対記者になれますよ」。初めてそう言われた時、その言葉がどれだけ嬉しかったかよく覚えている。なぜ先生がそんな言葉をかけてくださったのか、今でもわからない。が、とにかくその一言は内定をいただくまで私の糧となった。
MSFの授業では答えが提示されることはほとんどない。しかし、その中にたくさんのヒントがあって、それを拾って調べ、足を運び、考える作業を繰り返しているうちに自分の目標がはっきりする。それは、「記者職で内定をもらいたい」という目標ではなく、「こんなことを伝えたい。だから絶対に記者になるんだ」という意識だ。
2005年1月21日。普段日記などつけない私が、ノートに走り書きをしている。「MSF、心に残る授業」。その日は過去のある事例をもとに事件報道の原点についての講義があった。報道とは何か。明確な答えはまだ見つけられていないが、あの日の授業を私はずっと忘れられないと思う。
「記者になることは簡単です」。先生がよく言っていたことを思い出す。今ようやくその意味がわかる。MSFで感じたこと、考えたこと、学んだ様々なことを心に留め、早く一人前の記者になりたい。こうしてスタートラインに立つことができた。先生と仲間に改めて感謝する。

■北海道新聞記者内定・Sさん(東京教室生) 2016/04/27追加掲載
本気で報道を目指しているのなら、今すぐ準備を始めるべきだ。そして、タイミングを逃さずに内定を勝ち取るべきだ。2010年に大学を卒業し、卒業前の一年間と卒業後の三年間、社会人になり今回内定を頂くまでの一年半の間、山田先生の下で学び、他の受講生と切磋琢磨してきた。知り合った受講生の多くは目標を実現し、私より一歩も二歩も先に報道に進まれた。その間、社会では多くの出来事があり、たくさんの記者がニュースを掘り起こしてきた。「もし私が記者なら、どう取材をしただろう」と思いをめぐらせたことは数え切れない。もっと試験準備に力を入れていたなら、新卒で記者となり現場に立ち合い読者に記事を届けることができたのではと思うとやるせない気持ちになることもあった。中でも、2011年の東日本大震災と、2015年の戦後70年を伝える報道に記者として立ち合えなかったことへの後悔はとても大きい。目標を諦めないでほしい。MSFに合計で5年以上通った。先にも述べたが一緒に学んだ元受講生で現在もマスコミの世界で働かれている方々は多い。すぐに顔と名前が思い浮かぶ人でも10人を越える。一方で私のように内定までに時間がかかる人もいる。ただ、もし本気で目指しているのなら簡単に諦めないでほしい。社会人になり、もう一度MSFに通い記者への転職を目指した際、私には特定秘密保護法に反対する思いがあり、そのために再挑戦した。ただ、私の努力が足りず受験した会社の多くは面接の機会すらなかった。「私ではダメなのでは」と自分を疑うこともあった。だがその度に、山田先生が記者という仕事の素晴らしさを語って下さり、努力する受講生の姿に励まされた。戦後70年を迎え、震災から5年が経ち、今この国は岐路に立っている。2020年にはオリンピックがある。そして私は記者として現場に立ち合えるかもしれないと思うと、嬉しくて仕方がない。本気で報道を目指しているのなら、今すぐ準備を始めてほしい。そして簡単に目標を諦めないでほしい。もし一人では目標を実現できそうにないのなら、是非MSFに通ってみてほしい。

■北海道新聞社記者職内定・Tさん(札幌教室生)2012/06/05掲載
いつから記者になりたいと思い始めたのか、自分でも分からない。大好きな漫画のヒロインがスポーツ記者を目指していたから。読書の楽しさを教えてくれた作家が、元新聞記者だったからか。父親が新聞記者である友人からいつも、記者の悪口を聞かされていたからなのか。しかし、毎日目にしている職業は他にもあるのに、記者という職業になんとなく反応していたのは確かだ。
大学時代は、「自分は何になりたいのか」ととても悩んだ。部活動に様々なアルバイト、そしてメロンの研究や教育実習と、やれるだけやってみた。海外実習に参加したり、他大学の教授にまでも話を聞きに行ったりしたが、どれも職業となるとピンと来ない。「記者」が頭の中をちらついてはいたが、日記ですらまともに書けない私が、わざわざ大学を休んで、高知県から受験できる主要都市まで行くのは、無意味で恥ずかしいことに思えた。
「職に就いてしまえば、何だって楽しいに違いない」。そして私は卒業後、自分が選択できる範囲で最も魅力的だと感じた、ニュージーランドで酪農をするという道を選んだ。
酪農の仕事は厳しい。ましてや頼れる人間や、日本語で愚痴を言えるような人などいなく、自分で置かれた環境を居心地の良い場所にするしかなかった。がむしゃらに働いた結果、上手く牧場に溶け込むことが出来た。しかし、熱中する程、自己満足のために働いている気がしてきたのだ。「同じ時間を過ごすなら、人のためになる仕事がしたい」。それは何か。「記者だ」。ニュージーランドで努力することに自信が付いた私は、これまで何度も憧れた記者という仕事に、やっと挑戦する覚悟が出来た。
しかし、具体的に何をすれば良いのか分からない。マスコミ塾の存在は知っていたが、東京や大阪にしか無いものだと思っていた。が、地元の札幌に一つだけ見つかった。素晴らしい。「帰国したら札幌に戻り、一年間で準備して入社する」。目標が定まると居ても立ってもいられなくなり、海外生活締め括りの旅を途中で切り上げ、早々と帰国した。 
MSFに入ったからには、先生の指導に素直に従おう。そして、一つ一つの講座を大切にしよう。意識したのはそれだけだ。そうすれば受かるという直感を講座から感じ取ることが出来た。周りの仲間も、真剣にマスコミを目指している。そんな質の高い集まりに、遊び気分で行くと迷惑がかかる。特に「懇談」では、他の人から参考になる意見をもらってばかりで、自分は気づきを与えるような意見をなかなか言えず、申し訳ない気持ちで一杯だった。
作文試験の日は、朝から泣きそうだった。構成を考えようにも何も思い浮かばない。焦って、書ききれないこともしばしばだ。他の人の作文に感心してばかりで、アドバイスをすることも出来なかった。
凹んでばかりにも関わらず、講座の終わりには「やっぱり記者になりたい」と思ってしまうのは、先生が魅力に溢れているからだ。先生に憧れない方が無理だ。私は一年間MSFで学び、具体的にどんな記者になりたいのか、次第に明確になっていったことが合格に繋がったと思っている。しかし、実力はまだまだだ。先生に出会えた幸運と、仲間に出会えた幸運、北海道新聞社を受けた幸運が集まっただけである。しかしいずれ、この合格が読者の幸運となる日が来るように、MSF出身の記者として活躍したいと思う。

■北海道新聞社記者職内定・Sさん(札幌教室生)2011/8/03掲載
北海道新聞4回、朝日新聞6回、NHK5回。これは私がMSFに通った3年半の間の受験回数です。普通は、ここまで試験に落ち続けたら諦めるものなのかもしれません。でも、私は諦めることができませんでした。
理由は2つあります。1つめの理由は、新聞は毎日読むものです。手に取らない日はありません。だから諦めたら、毎日、新聞を読みながら後悔し続けるだろうと思ったからです。「諦めるくらいなら、年齢制限で受験出来なくなるまで受け続けよう」と決めていました。
2つめの理由は、先生の指導を受けることが出来たからです。MSFがあったからこそ、3年半の間、受験し続けることが出来ました。試験に落ちた時は、落ち込みます。また、自分なりに渾身の力を込めて書きあげたエントリーシートで内定を得られなかった結果を思うと、次回の受験では何を書けば良いのだろうと途方にくれたこともあります。けれど、先生はそんな私をいつも温かく指導して下さいました。
この受験回数からも分かるように、私は全く優秀な受講生ではありません。「懇談」の時間は、新聞記事の感想を述べるだけで、自分なりの気づきを見つけられず、緊張の時間でした。同時に、先生が示唆して下さる視点や考え方にいつもハッとさせられてばかりで、帰宅してから新聞を読みなおし、なぜ自分はそのような着眼点を持てないのか考えてばかりでした。エントリーシートは自宅で何時間座っても考えがまとまらず、右往左往の日々でした。論文では、何を言いたいのか分からない独りよがりの文章ばかりで苦手でしたし、面接の練習に至っては、基礎知識があやふやで先生の質問に答えられないことも多々ありました。
しかし、どんな時も先生は真剣に向き合って下さいました。それは、エントリーシートや論文についての指導にとどまらず、振る舞いや話し方においても率直に欠点を指摘して下さる姿勢からも感じることが出来ます。そして、それはマスコミ人として必要な知識や態度であるというだけでなく、一人の人としてあるべき姿を教えていただけたと思っています。
また、MSFは、「内定を得ること」を最終目標にしている講座ではありません。ですので、講座は先生から受かるための答えや裏技を教えてもらう場ではありません。ヒントをいただきながら「自分ならどう思うか」「なぜそう考えるのか」「マスコミの人間はどういうものの見方をするのか」を考え、自分を鍛錬する場所です。結果的にはその訓練を繰り返し、自分の頭で考えることが内定へ必要な道であることは身をもって感じました。
最後になりましたが、MSFは受講生同士でも刺激し合える場でもあります。私が通った札幌教室は受講生が私1人の期間もありましたが、多くの仲間にも出会うことが出来ました。自分とは違う視点でのものの見方や知識に刺激を受けました。講座の終了後には情報交換や世間話で笑い合うことができ、いつも元気をもらいました。また、数回ですが東京教室の方にもお会いすることが出来、その意識の高さに感心し「もっと頑張ろう」という思いにさせていただきました。
今回、私はようやく内定をいただくことが出来ましたが、それはMSFがなければ絶対に叶わない夢でした。そもそも先生に出会わなければ、新聞記者になりたいとここまで強く思うことはなかったと思います。
「紙面は読者のもの」「社会のために」という先生の言葉に何度も熱くなりました。少しでも記者という職業に興味があり、今の社会に思うところがある方はぜひ、MSFを受講して欲しいと思います。きっとその思いは通じます。

■河北新報社内定 Mさん(東京教室生)2008/1/4追加掲載
私は大学を一年留年し、就職浪人をした。一年目は独学での勉強だった。
だが、試験はほとんど一次面接で敗退。大学4年一年目の秋、これではもう一年受験しても受からないと思い、MSFに入会した。
MSFの授業を初めて受講した日のことはよく覚えている。開始後すぐ、私は先生に指摘をいただいたからだ。授業は毎回漢字テストから始まる。先生から手渡されたテスト用紙を私は片方で受け取った。当時の私にとっては何気ない行為だった。だが、先生は注意をしてくれた。大学に入って以来、指導を受けることが少なくなっていた私にとって、その一言が有り難かった。
MSFは、ただ受験対策だけするのではなく、社会人として大切なことを教えてくれる場所だと思う。授業では、毎回自分の不甲斐無さに対して憤りを感じていた。懇談や面接クリニックでは考えの浅さを実感させられた。作文の時間では、仲間が私の作文を読んでくれている間、何度も耳をふさいだ。自分自身に何度も悔しさを覚えたが、その悔しさがあったからこそ、模擬面接や作文の推敲に臨んでいったのだと思う。
先生は、授業でよく記者の素晴らしさ、社会的な意義をさまざまな資料から絶妙なタイミングで話して下さった。自分の考えがまとまらず、悩んでいる時、春試験で志望する会社に落ち、落胆している時など。私は先生のその話に勇気付けられ、より一層記者への志望を強くした。入塾時より現在の方が記者になりたいという思いが強いことだけは、自信を持って言える。その思い以上にMSFで得た一番の財産は、共に勉強した仲間だ。ファミリーレストランやファーストフード店で懇談を行い、志望書を推敲した。
どのメンバーも私の志望書に対して真剣に検討し、助言をくれた。そして、合格を祝ってくれた。本当に有り難い。私は結局、現在もこの合格体験記を書けるほど誇れるような実力は何もない。内定後に先生からいただいたメールの内容のように、これからが本当であり、今まで以上に自分を磨いていかなければならない。だからこそ、今は嬉しいという気持ちよりも、気の引き締まる思いと不安が頭をよぎっている。
私は、記者として記事を書くことで社会をより良くしたい。この一念で受験をしてきた。この目標は一朝一夕では達成できない。叶えられるかは、これからの自分次第だ。お世話になった先生、事務局の方、そしてメンバーに恩返しをする意味でも、初心を忘れずに生涯精進していきたい。最後に、先生をはじめMSFで出会った全ての方に心からの感謝を伝えたい。ありがとうございました。

■中日新聞社記者内定 Oさん(札幌教室生)2010/7/5追加掲載
私は学生時代から記者を目指していました。大学1年からマスコミ等を目指す自主ゼミに入り(といっても、本当に目指すようになったのは3年の頃からです。)準備をしており、同期も本格的にマスコミ目指した仲間はほとんどマスコミに決まりましたので、「自分も大丈夫だ」と勘違いをしていました。社会人になり、さらに自分の自信は過信だと痛感し、真っ白な状態でMSFの門を叩きました。
自己流の間違ったやり方では何回試験を受けても通らないと思います。私は中日新聞を現役の春秋、入社した直後の春、そして今回と、4回受けています。マスコミに入社した同期や先輩、元記者の先生、知り合い等に色々とアドバイスは頂いていましたが、言われることは人によってばらばらで、暗中模索状態での受験の末、結果は惨敗でした。
先生は多くの受験生をマスコミに入社させています。試験に正解はありませんが、コツはあると思います。自分の考えや、やり方もあると思いますが、本気でマスコミに入るつもりなら一度素直に先生の助言を聞き入れることが、近道だと思います。
最後に、MSFの授業を受けてきた中で良かったと思うのは「新聞とは」「記者とは」ということを教えていただけたことだと思います。内定者を多く出すということに力を入れるのではなく、良い人材を育て記者にして、マスコミ業界、さらには社会を支えたいという信念を感じる授業で、私も先生の信念に非常に感化されました。
まだ私は内定者ですが、恐らく新聞社という「会社」に勤める上で、忙しかったり、やりたいことができなかったり、と辛い思いをすることは非常に多いと思います。良くも悪くも自分の記事が社会に影響を与え、現状を変えていく。
そんな重責な仕事だからこそ、どんなに苦しくてもやる価値があるし、やりがいもある。そう気づかせてくれたMSFでの授業は記者として働く上で最大の財産になると思います。

■山陽新聞社記者内定 Kさん(東京教室生)2005/8/27追加掲載
新聞記者になってしまった。正直に言えばそのような感覚だ。
なぜなら、私はどうしてもアナウンサーになりたくてMSFに入ったからだ。
私はそれまで大手の有名アナウンススクールに通っていた。しかし、講義のたびに指導者が変わったり、教室が大人数で一人に割かれる指導時間が3〜4分しか無かったりとその授業の形態に疑問を持たざるを得なかった。
そんな時、偶然出会ったのがMSFのホームページだった。
アナウンサーだけでなく、新聞記者をはじめとしてテレビ、雑誌、広告などあらゆるマスコミ業界に多くの内定者を輩出している点に興味を持った。
「なぜ、自分の伝えたいことをその会社で伝える必要があるのか」。講座での面接クリニックで何度も先生に問われたことだ。最初は、自分のやりたいことの意義など思いもつかなかった。しかし、多くの人に情報を発する仕事をする以上、常に考えなければならないことは「社会的な意義」だ。
MSFの授業では「懇談」をはじめ、とにかく受講生自身に考えさせることを主体としていた。学生時代に全く勉強をしていなかった私は、他の受講生のレベルに圧倒されてばかりで恥ずかしいくらいだった。しかし、講座や勉強会を重ねていくうちに、新聞やテレビに対する接し方は確実に変わっていった。自分が伝える側ならばどうするか、その社会的意義はなにか、それを取り上げることに何の意味があるのか。
常に「伝え手の視点」を持ちメディアに触れられるようになった(それでも勉強会では何度も「視点が甘い」という指摘を仲間から受けたが)。そして、その思考方法はエントリーシートの作成や本番の面接でも大いに役立った。MSFの受講生は、学生だけでなく社会人やフリーターが多いのも良い点だ。
私自身フリーターとして就職活動をしていたが、辛い時、苦しい時に同じような状況の仲間と励まし合えることほど心強いことはなかった。勉強会では互いのエントリーシートや作文についてとことん指摘しあったり、新聞やテレビについて議論しあったり、模擬面接を行ったり、一人では乗り越えられない壁も講座仲間がいたからこそ前に進むことが出来た。
私は年齢の問題で受験できる局がほとんど無かったことなどでアナウンサーにはなれなかった。しかし、MSF入会当初には考えてもいなかった新聞記者で内定をもらった。生意気なことを言うがジャーナリストとしての資質は確実に身についているのだと実感できた。アナウンサーと記者、という違いはあるが今後はMSFで習ったことを胸に報道の世界で活躍していきたいと思う。

■西日本新聞社 記者職ほか内定 Sさん(東京教室生)2012/10/1掲載
山田先生との出会いが、私の人生の転機だった。山田先生は、ジャーナリズムにおける私の師匠だ。「どんな方なんだろう。怖い人かな」。
入塾する前にドキドキしていたことが、今となっては微笑ましい。
私はタウン紙を発行する出版社で働くうちに、新聞記者を志すようになった。だが、転職活動1年目は最終面接に進んだ1社以外の全ての新聞社で、1次面接止まりだった。当時は27歳。年齢的に受験のチャンスは限られている。何か打開策をと思い、辿り着いたのがMSFのホームページだった。入塾してから西日本新聞社に内定をいただくまでの5ヵ月間。駆け抜けた、と言っていいと思う。平日は仕事、休日はMSFという日々が続いた。仕事中も、業務に差し支えない範囲で、5分、10分の短い時間を見つけては受験対策に充てた。疲れることはあった。だが、そんな日々を苦痛に感じることはなかった。とても、楽しかったのだ。
そう感じられたのも、MSFのおかげだ。MSFでは私がいた当時、既卒者が半数以上と多かった。報道とは異なる業種で働いている人、アルバイトをしながら就職活動に勤しむ人、もちろん学生もいた。様々な人との出会いが新鮮だった。他の塾生と切磋琢磨することで、自然と受験に対するモチベーションは高まった。
講義の内容も充実しており、エントリーシート・筆記・面接と、バランス良く対策ができた。塾生が当日の新聞を持ち寄って、記事に対する感想を言い合う「懇談」の時間では、ニュース感覚を磨くことができた。
そして、山田先生の存在が何より大きかった。情熱を内に秘めた、ユーモアのある紳士。山田先生の印象だ。その時々のニュースに対する先生の考えに何度もはっとさせられ、新聞記者時代の話に何度も感動し、うなずいた。遊び心のある機知に富んだ会話に、何度も笑った。明るいニュースに「いい話ですね」と喜び、悲惨なニュースに悲しみ、怒りを抱く。柔らかく微笑み、時として声を震わせ、切実な感情を見せる。そんな人が新聞記者だったことが、私にはうれしかった。「ああ、俺も新聞記者になりたい」と、強く思った。
今、携帯のメールボックスの重要フォルダには、特別なメールを入れてある。
西日本新聞社の2次面接を通過し、最終面接に進めるようになったことを先生に報告した時だ。先生は返信で、「忙しい仕事の中、よく努力をしています。いずれ、ジャーナリズムの世界で活躍できる人と確信していますが、そうであるならば、一日も早く」と言ってくれたのだ。
私は胸が熱くなった。先生は見てくれていたのだ、そんな風に思ってくれていたのか。よし、やってやるぞ―。大きな勇気をもらった。最終面接の前日にあった講義では、社会見学のためにと羽田空港にみんなで行った。そこで山田先生は私に「大丈夫ですよ。もう、去年までのSさんではないのですから」と声をかけてくれた。羽田に吹く心地良い風、山田先生の笑顔。決意と不安がない交ぜになった私。今でもその情景が目に焼きついている。
新聞記者になる前にMSFでジャーナリズムについて学べたことは、私のこれからの記者人生にとって、とても大きな意味を持つだろう。新聞記者として、社会を良くするために、読者のためにという初心を忘れずに、頑張っていきたい。
…何だか山田先生への恋文みたいになってしまいました。私のものを含めて、塾生の感想を読んだ方は、もしかしたら怪しむかもしれません。塾のことを良く言いすぎてはいないかと。正直、私も入塾する前には、疑問を持っていました(先生、ごめんなさい)。ただ、この文章に偽りはありません。
MSFに入ったことで、私は前述の状況から、西日本と中日新聞の2社に内定をいただきました。この文章を読んだ方が、少しでも新聞記者への士気が高まれば幸いです。

■金融経済専門出版社内定 Hさん(東京教室生)2015/1/13追加掲載
「先生のことをとても尊敬している」
私にMSFを紹介してくれた元受講生の方がそう話していた。学生時代からマスコミを志望していながら、マスコミ塾のようなところに懐疑的だった私にとって、とても新鮮に聞こえた。そこまで言うのなら試しに受講してみようか、そんな気持ちから受講を決めた。そして、実際に山田先生のもとで学んだ今、私も冒頭の元受講生の方と同じ思いを抱いている。
入塾した当初は、とにかく周りの受講生のレベルの高さに驚き、付いていくのに必死だったことを思い出す。憧れや自己実現のために記者を志望していた私にとって、本気でジャーナリストを目指す受講生の皆さんと、真剣に、時にユーモアを交えながら指導してくださる山田先生の姿は、このままではいけないと自分を奮い立たせるきっかけとなった。懇談で人の興味を引く話をしたい、評価を得られる論作文を書きたい、また、同じ思いを持つ他の受講生の役に立ちたい、そのような思いで取り組み続けた。
なかなか目指す結果が出ない中、目標を見失わずに、一定の成果を挙げるまで続けてこられたのは、諦める必要はないと示してくださった山田先生の存在があってのことだ。また、共に切磋琢磨し、多くの気付きを与えてくださった受講生の皆さん、学ぶための環境を整えてくださった事務局の上村様に改めて御礼申し上げたい。
平日は仕事をしながら、週末にMSFに通い続けた2年余りを振り返ると、大変だったことよりも楽しかったことの方が先に浮かんでくる。メーン講座以外に、秋試験ゼミ、サマーゼミナールなどいろいろな講座を受講した。中でも、朝日新聞研究ゼミで、メーン講座での懇談よりもじっくりと時間をかけてさまざまな話をしたり、山田先生に社会見学に連れて行っていただいたりしたことは貴重な経験だった。先生が教えてくださったように、マスコミ人として、雑談のできる、面白い人間になれるようこれからも精進していきたい。

■ベネッセコーポレーション総合職内定 Tさん(札幌教室生)2002/9/27追加掲載
よくわからない。これが就職活動を目前に控えた私の心境だった。何から手をつければよいのかわからなかった。そんな時、私は、MSFを見つけたのだった。
MSFの授業は中学校の理科の教科書の様だった。実験方法は書いてあるけれど結果は書かれていない。答えは自分自身の力で探し出さなければならない。社会人になってもそうである様に。例えば「面接は会話」だと、私は先生から教わった。最初は緊張したり準備不足で会話なんて成立しなかった。けれど、何度も面接練習を繰り返すうち、面接の席に座って面接官と話をすることが楽しくなっていた。普段話をすることのない社会人の方との会話は新鮮だった。就職活動が面白くなってきたのはその頃からだった様に思う。
また、MSF入会して良かったことの一つに仲間ができたことがある。同じマスコミ志望ということで志望書や作文を見せ合い、面接の練習を繰り返し、厳しく評価しあった。普段の友人とであれば、こんなに厳しくはできなかったに違いない。真剣だからこそ、悩みを打ち明けることができ、沢山の刺激を与えてくれる仲間。そんな仲間ができたのもこの塾のおかげだ。もし、MSFに入っていなかったら、と考えることがある。きっと私はよくわからないまま試験を受け、落ちた時に何故落とされたのかわからなかっただろう。沢山のやり方とヒントを与えて下さった山田先生に大変感謝しています。本当にありがとうございました。

■東映・総合職内定 Mさん(札幌教室生)2002/10/18追加掲載
最初に言いたい。「粘れば勝てる」。
私の就職活動はほぼ一年間に及んだ。どんなに意気消沈しようとも諦めないことが私の最大の勝因であった。それを教えてくれたのがMSFであり、山田先生であった。
大学3年生の夏休み、就職を意識し出した私は、既に働いている友人に就職について相談した。そして「どこも大変だ。ならば、とことん楽しくカッコいい仕事がいい」という結論に達した。華やかなイメージのテレビ局を志望し10月の初めMSFの扉を叩いた。初めてのMSFの授業で私は冷水を浴びた。筆記模擬試験は2割も出来ず、作文試験は文字の垂れ流し。先生に言われなくても「こんなんじゃ受からない!」と自分で気づいた。
幸い時間がまだあったため、筆記と作文だけは早めに完成に近づけた(←これは大事)。毎週水曜日に行われていたメーン講座は楽しみであり、恐怖であった。毎回自分の出来の悪さに直面するからだ。だが、それを克服しなければ強者揃いの就職戦線を乗り越えられない。先生に進路相談したり、同じ教室の仲間と勉強会などしMSFをフル活用した。マスコミに入るための知識のみならず「入ってから」を意識する授業に刺激を受け、私の志望も「漠然と、テレビ局」から「明確にNHK」へと変わっていった。だがNHKは落ちた。自信に
満ちて志望書を書き上げ、作りたい番組の構想や将来のNHK像を考えていたのにNHKは会ってもくれない。私は悲しくなった。就職活動を通じて社会の厳しさを感じた一瞬だった。
しかし落ち込みはしたが諦めはしなかった。第一にここで止めたらカッコ悪いではないか!色々受けまくった。テレビ局はもちろん、広告、ラジオ、映画、新聞、音楽業界、メーカー、デザインの事務所など、とにかく遮二無二であった。普通テレビ局に行きたい人はテレビ局ばかり受けるだろう。私はそうしなかった。NHKから拒否された時点で「自分はテレビ局に向いていないのではないか」という思いが生じていたためだ。結果的に色々な会社を受けたのはよかった。OB訪問や企業研究をしていくうちに自分の本当にやりたいことが見
えてきたのだ。
それは映画だった。自分の勉強している芸術に近いし、海外にもビジネスチャンスがある。この時期(6,7月)、周りの友人は内定ラッシュ。しかし確固たるものが自分の中に出来たためか、不思議と焦らなかった。本当に入りたい気持ちは面接官に伝わるもので、受けた映画会社はどこも手応えがあった。映画会社から内定通知が来たのは8月の中旬。足掛け一年、長い就職活動は私の粘り勝ちで幕を閉じた。自分一人で頑張る自信のない方、まだ目標が漠然としている方に私は、是非MSFをお薦めする(目標が明確な方はなお良い)。

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※禁・無断転載。あるマスコミ予備校パンフレット(合格体験談)で、新聞社内定という方が本欄の文章を抜き書きした文章を執筆していることを確認しました。想定していないことであり大変悲しい思いでおります。本欄の文章は全て当塾生が未来の仲間に向けて、善意でお書きくださっているものです(恥ずかしい話ですが、MSFから謝礼などのお支払いもしていません)。みなさまのご理解をどうぞよろしくお願いいたします。※
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